目次
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正法眼蔵 坐禅儀 提唱
原文
はじめに
義雲の頌著
面山の述賛
正法眼蔵 坐禅儀
思量・不思量・非思量について(「坐禅箴」の巻の提唱より)
大智禅師法語 提唱
印刻祇陀開山法語序
鳳儀開山大智禅師法語
十二時法語
あとがき
後 記 能勢隆之
正法眼蔵 坐禅儀 提唱
原文
はじめに
義雲の頌著
面山の述賛
正法眼蔵 坐禅儀
思量・不思量・非思量について(「坐禅箴」の巻の提唱より)
大智禅師法語 提唱
印刻祇陀開山法語序
鳳儀開山大智禅師法語
十二時法語
あとがき
後 記 能勢隆之
内容説明
釈尊も達磨大師も終生常に坐禅をされた。共にすでに無上の覚りを得ていたのだから、それは覚りを得るための坐禅ではなかったことは明らかである。では「坐禅とは何か」。その真実を明らかにする提唱録。「大智禅師法語」は、禅師が肥後の豪族、菊池一族に説いた真実の生き方。