《目次》
序   章
第 一 章 「和」という国家理想
第 二 章 「和」の理論と方法としての仏教
第 三 章 リーダー・エリートの存在理由について
第 四 章 礼による統治
第 五 章 公正な裁きによる統治
第 六 章 法による統治
第 七 章 菩薩的リーダーによる統治
第 八 章 精進としての公務
第 九 章 相互信頼と信の共有
第 十 章 凡夫の自覚の共有
第十一章 信賞必罰による統治
第十二章 愛民と妥当な徴税
第十三章 公務における共同
第十四章 競争と嫉妬のデメリット
第十五章 リーダー・エリートの歩むべき道
第十六章 民のための統治
第十七章 独裁制の否定
終   章
聖徳太子関連略年譜
 《序章より》
 『十七条憲法』は、日本の最初の憲法なのである。法学的に言えば欧米における近代国家の憲法とはやや性格が違っているにしても、初めての成文化された「国のかたち」であることはまちがいない。
 だとしたら、こういうことにならないだろうか。
 その初めて形づくられた国のかたち・憲法が、すぐれたものだとしたら、日本という国は最初からすぐれたかたちを目指して出発した――少なくともその点では――すぐれた国だったということになる。もし、つまらないものだったとしたら、日本は最初からつまらない国だったということになる。
 そういう意味で『十七条憲法』は、日本人の精神史的なアイデンティティ――つまり日本人が自分の国の歩みに健全な誇りを持てるかどうかということ――にとって、決定的に重要な文章だ、と言えるだろう。そして結論を先に言えば、実に幸いなことに、そこにはきわめてすぐれた政治理想が高々と掲げられている、と筆者は思う。
 ほとんどの日本人が知っているとおり、聖徳太子『十七条憲法』は、「和を以て貴(とおと)しと為す」という言葉から始まる。「日本という国のまず何よりも優先的に追求すべき国家理想は平和である」という、高らかな宣言である(加えて言えば、後で述べるように「和」には自然との調和という意味も含まれる)。
 私たちの国日本は、そういう高い理想をかかげて出発した国である。かつてそういう高い理想をもったトップリーダーのいた国なのである。
 政治経済が混迷・低迷し、何よりも精神性が荒廃し、日本人全体が、進むべき方向を見失いつつある今こそ、日本という国の理想がどこにあったかを読者と一緒に再発見・再確認したいというのが、本書の目的である。
《著者紹介》
岡野守也
1947年広島県生まれ、プロテスタント牧師の家庭に育つ。71年関東学院大学大学院神学研究科修了。11年牧師を務め、それと数年重なって計21年春秋社に勤務。92年サングラハ心理学研究所設立、98年春秋社を退職し独立。
著書『唯識のすすめ』(NHK出版)、『能と唯識』『唯識の心理学』『トランスパーソナル心理学』(以上青土杜)、『自我と無我』『生きる自信の心理学』(以上PHP研究所)、訳書にケン・ウィルバー『万物の理論』(トランスビュー)など多数。