《目次》
序文   水野弥穗子
正法眼蔵八大人覚 原文

はじめに
仏法は常に一鍬掘り下げていかねばボケてくる
なぁに、本当はみんなガキなのだ
本当の人類からいえば、歴史以前の時代でしかない
日本は「じしんこく」である、いや「地震国」なのでない

一、少 欲
「くれるというものを、なぜ貰っておかないんだ」
いったい自分とは何か、この大事なことがよく分からない
「生まれる以前に堕ろされた」という目で見直す
自己が自己として片付いて愚図らない

二、知 足
「真実」とは何か──いまハッキリといいます
悟りを願わないのも困る、だが悟りたいという欲も困る
じつは誰でも今、このままで足りているという事実がある

三、楽寂静
人間が人間を拝むなんて、あり得べきことではない
ノボセ上がりは必ず下げれば下げられる
「宗教」という言葉は、やがて抹殺してもいい時代がキッと来る

四、勤精進
オレの欲のため以外に本当に真面目に働いたことがありますか
天地一杯の自己の狙いがなければならぬ

五、不忘念
子どもは自分が親の分身だとは思わない、親は他人だと見る
草も木も虫もあらゆるものが生まれ、生きそして死ぬ
「あっ地球上が仏法になった」というときが必ず来る

六、修禅定
ましな人間になりたいという連中は、坐禅をしないほうがいい
詰まるところオレは何のために生きているのか

七、修智慧
「坐禅は口ではいえぬことじゃ」などというハッタリ坊主
私の話を聞いているのではない、あなたは自己を聞いているのだ
仏法相承は甘柿の枝を接ぎ木するようなものである

八、不戯論
どうせみんなやがては寝たきり老人になる、そのときはどうする
まったく見当外れの教学の研究、法要儀式、堂塔伽藍の建立

〈追補〉正法眼蔵に学ぶ
《著者紹介》
内山 興正(うちやま・こうしょう)
 明治45年、東京に生まれる。早稲田大学西洋哲学科を卒業、さらに2年間同大学院に在籍後、宮崎公教神学校教師となる。昭和16年、沢木興道老師について出家得度。以来坐禅修行一筋に生き、昭和40年沢木老師遷化の後は、安泰寺堂頭として10年間弟子の育成と坐禅の普及に努める。平成10年3月13日、示寂。
 著作は数多く、英独仏伊語などにも訳されている。主著に『正法眼蔵─現成公案を味わう』『正法眼蔵─行仏威儀を味わう』『正法眼蔵─坐禅箴を味わう』『生存と生命』『御いのち抄』(以上柏樹社)『ともに育つこころ』(小学館)『禅からのアドバイス』『いのち樂しむ─内山興正老師遺稿集』『坐禅の意味と実際─生命の実物を生きる』『自己─ある禅僧の心の遍歴』『普勧坐禅儀を読む─宗教としての道元禅』『宿なし興道法句参─澤木興道老師の言葉を味わう』(大法輪閣)etc。