《刊行当時の推薦の言葉より》
誰にも読み易い正法眼蔵       曹洞宗管長・大本山永平寺貫首 佐藤泰舜
 岸沢老師は西有門下出藍のほまれある眼蔵中心の現代最高の宗師家であり、発心、求道の思慕、智見解の力量、信受奉行の行持、そして懇切丁寧に学人を指導し、宗意を解明せられた点に於いて比類なき宗匠である。  今回『正法眼蔵全講』二十四巻が刊行されて、正法眼蔵全体の講義本がととのうことは誠に喜ばしい次第である。内容は岸沢老師の本領を発揮しつつ、すじを通して明解に講説せられてあり、発行所の心くばりで専門語にはルビをつけて誰にでも読み易く出来ていることは、正法眼蔵の普及に役立つことと思う。
真実の仏法の書                     大本山総持寺貫首 岩本勝俊
 日本人の魂を以て仏法を相続なさった御方が、承陽大師道元禅師でおいでになる。前々から伝来の仏法として奈良仏教があり、次に平安仏教があったにしても、惟うに大師のお言葉にある「ただ文言を伝えて名字を誦せしむ」るものであったこと疑いない。  これでは学解本位で学究的仏教に堕することとなる。このとき大師出でて、初めて学解ではなく、実修的仏教即ち行持の仏法を打出した。真実の仏法之なりの信念が、已むことを得ず吐露した金句、それが正法眼蔵に他ならぬ。  所謂眼蔵家中の白眉、岸沢老師は一代の碩学というばかりでなく、西有禅師の悟道の高きを、一器から一器へ空け渡すように受継がれた道人である。全く眼蔵そのまま、大師そのひとに成られた稀世の宗師家である。  その御人が幸いにも、大師に聴書のあると同じように、此処にこの大部の筆録の発表と相成ったことは宗門のため欣快至極である。
道元禅師との距離を縮める               駒沢大総長・文博 榑林皓堂
 古来、道元禅師の正法眼蔵は難解の書とされる。禅師の宗教体験を語るものである以上、その体験を欠く者に取りつきにくいことは当然である。しかしこの聴書によって禅師とわれわれとの距離が短縮し、外濠を埋めることになるだろう。  だが正法眼蔵が宗教安心の書であることをタナあげにし、単に文学の書、哲学の書として推奨するだけなら、外濠はいぜんとして埋まらないだろう。また古人の「文字は魚兎の筌蹄のみ」の箴言をわすれてはならない。
初めて出る全巻提唱             大本山永平寺副貫首・文博 山田霊林
 正法眼蔵全九十五巻を講義したものは今までなかった。『正法眼蔵』には数多くの講義本があり註釈書があるが岸沢老師のこの『全講』のごとく、丁寧親切、微に入り細に入り、『正法眼蔵』九十五巻のどの巻どの章どの節どの句どの文字、その何れについても、老師の深い造詣と後進への悃情を捧げつくして講述し、『正法眼蔵』の真実義を開顕いたされている大著述はないといわざるを得ぬ。
正統派の講義                       東大教授・文博 玉城康四郎
 近年、『眼蔵』の注解や翻訳がしきりに出され、一般読者の注目を集めている。どうしてあのようなむずかしい書物が好まれるのだろうと不思議に思うが、そこが魅力なのであろう。内へ内へと人生を切り込んでいく太刀さばきの意味の深さ、同じ日本人の筆になる共感を新にするのにちがいない。現代人であるから、現代的な解釈を試みるのは当然であるが、また一方では、ながいあいだ培われてきた眼蔵家の解釈を大切にしなければならない。そこには『眼蔵』とともに、大地に苔むしてきたような密度の高い精神が養われているからだ。岸沢老師の講義は、そのような伝統の最終的な結晶といえよう。
難値難遇の書                   東北福祉大学長・文博 大久保道舟
 従来「眼蔵家」といわれた人は、多く末書を写しとって提唱の種本としたもので、その種本の多い人ほど充実した提唱が出来、またその道の大家とされたようである。それほどに末書は眼蔵研究家にとっての重要な資料であった。  思うに岸沢老師の提唱には情熱がこもっていて、言々句々真に徹し、話題が宗義の中心問題に触れてくると涙さえ流されたものであるが、その情熱のこもった率直な提唱ぶりをこの『全講』によって味わうことができるとすれば、まことに有難いことで、難値難遇といわねばならぬ。私はこの書の完成を期待し、進んで大方諸賢に推薦したい。
伝統宗学の精髄                      駒沢大教授・文博 鏡島元隆
岸沢惟安老師の『正法眼蔵全講』が世に出るという。私は、はしなくも、老師の提唱を聴聞に行った頃のことを憶い起こした。昭和十年代の道元禅師研究ブームの時代である。当時、宗門の外では道元禅師研究の旋風が捲き起こされているというのに、老師の提唱は、そんな世間の風には不関焉で、春風駘蕩、まことにいい対照であったことを鮮かに覚えている。
人も知る、岸沢老師は西有穆山老師の長嫡である。西有老師の『正法眼蔵啓迪』の中には、道元禅師の『正法眼蔵』に対する宗門上古、近世の註釈はことごとく自家薬籠中のものとされ、独自の宗乗眼によって駆使されている。この衣鉢を継ぐ、岸沢老師の提唱には、宗門伝統宗学の精髄が籠っていることは疑いない。
いまや、再び、道元禅師ブームが宗門外で深く静かに起こっているようである。このとき、数十年埋もれていた岸沢老師の提唱が、世に出ることの意義をあらためて思わされるのである。
嬉しくって暴れたくなる本              版画家・文化勲章受賞 棟方志功
 ワタクシハ目ガ悪イカラ、ムズカシイ本読ミノモノデハ判リマセンカラ、コンド御出版ニナルカナ入リノモノハトテモ、トテモアリガタイ極ミデス。コウシテ『正法眼蔵全講』ガ側ニ置カレテ、ドノページヲ、メクッテモ、ソレガホンモノデアルコトニ間違イナイコトヲ覚エサセテイタダキマス。――アルイハ、コッチデ間違ッテ読ンデモ、見テモ本当デアルコトヲコノ御出版ハ教エテクダサルコトヲ信ジマス。
 オドロキ、ヨロコビ、カナシミ何デモワカル事デショウ。ソウシテ仏ト人トノ間ヲ少ナクシテ行ク有難イ心持ヲ体ガ挙ッテクル様ニ、タマラナイ大世界ガ四方八方カラ光リ一杯ニナッテクルデショウ。嬉シクッテ暴レタクナルホド嬉シクナル必然ヲ覚エル事デショウ。