来し方行く末を思いて
救世観音宗管長 紀三井寺貫主 前田 孝道(まえだ こうどう)
(2008年『大法輪』1月号より抜粋)

 
   
   平成二十年の新春を寿(ことほ)ぎ「大法輪」愛読者の皆様へ、本年があなた様のために良き年でありますよう、心より御祈念申し上げます。

○新年はめでたくもあり……
 さて、昔からわが国では新年を祝い、お祝詞(しゅくし)を交わすのが慣(なら)わしとなっていますが、人はそれぞれで、時にはお祝詞を控(ひか)えねばならない事情の方もあります。
 殊にここ数年間の年末年始の報道を振り返るとき、正月だからといって必ずしも「めでたい、めでたい」と手放しで喜んでばかりはいられない様々な事件も起こっています。

元日(門松)や 冥土の旅の一里塚
    めでたくもあり めでたくもなし
とは、室町時代の禅僧、一休禅師の詠(よ)まれた歌です。
 考えてみると私達は、世の中の様々な約束事や規制の下に生きております。年末になって一年を省(かえり)みるとき、背後にプラスやマイナスの記憶がうず高く積もっております。我々の先祖は一年の終わりの大晦日に「除夜の鐘」と称して寺々の釣鐘を百八回も打ち鳴らし、人間の持つ百八煩悩(人の心や体を汚し迷わすよからぬ心)を梵鐘の音とともに突き流して、心新たに新年を迎えるという年中行事を思いつき、何百年もの長きにわたりこれを行ってきました。本当は人間の所業はそのようなことで解消できるものではありませんが、大晦日に撞(つ)く「除夜の鐘」を一つの区切りとして、新年を新たにスタートさせるというのも、絶妙な知恵の所産と申せましょう。
 人間は何も教えられないで、好き勝手に本能のまま成長すると、極めて自己中心的で思いやりのない大人になって行くことが判っています。このごろ理解しにくい殺人事件や、金に困っての詐欺・横領などが多発していますが、これらの事件の増加は自由気ままに育った国民の数と比例しているともいえます。このようなことは、昔もありましたが、今ほどではありませんでした。

○現在は過去の歴史の総括
 「時代の風潮」という言葉があります。今日のわが国の様相は、過去に繰り返されてきた歴史の結果といえます。すなわち、無謀な戦争を始めたことの結果として惨(みじ)めな敗戦があり、敗戦の焦土の中から立ち上がり欧米に追いつき追い越そうと国民こぞっての努力と好運に恵まれて、今日世界のトップを競う経済大国日本があります。 しかし、そこに生じたおごり・慢心、あるいは戦争責任の殆(ほとん)どを日本に背負わせようとする各国の思惑、次第に変貌して行くわが国と周辺諸国との関係などは、次なる結果への要因として成熟しつつあります。
 人には人柄というものがありますように、国には国柄というものがあります。わが国の国柄とはどんなものでしょうか。
 江戸時代の後期から明治の初めに、わが国にやってきた外国人が、日本人の印象をさまざまな形で書き残しております。中でもわが国に初めてキリスト教を伝えた有名なフランシスコ・ザビエルは次のような報告をローマヘ書き送っています。
 (1)日本人は今までの交際で知ることの出来た民族の中で最もすぐれている。(2)良い素質を持ち悪意がない。(3)名誉心が極めて強い。(4)貧乏は恥ではないと考えている。
 このほかにも十数項目に及ぶ報告に、過度に飲酒する・賭(か)け事はしない・一夫一婦である・窃盗はしない(死罪だから)・大部分の者は読み書きが出来るなど、かなり詳細にわたっています。 当時の世界にあってわが国の識字率が高かったということが判りますが、それは文化的に高い水準にあったことを物語っています。
 教育は国家百年の大計と言われ、極めて重要なことです。わが国の場合、中世に寺院で始まったといわれる「寺子屋」教育は、江戸時代には僧侶・神官・医者・武士・浪人・書家・町人などが教員(師匠)としてこれに従事しました。
 「寺子屋」では「読み書きそろばん」にとどまらず、手紙のしたため方、地理・歴史・百人一首・その他の古典から、人間としての心得、職業人としての心得にもおよび、男女とも五・六歳から始めて十三・四歳に及び、男は十八歳くらいまで就学する例が多かったと言われます。就学率は七・八十パーセントと当時の各国に比べてきわめて高く、これが明治以降のわが国の高い教育水準につながっていったのではないかと思います。

○現在の世相を見れば、
      将来の予測が出来る

 これまでわが国は知的水準が高いと言われてきましたが、週五日制を採用以来、世界のトップクラスから一挙に四十数位に転落したと言われます。それに最近、道徳教育がなおざりにされているという指摘があります。公共交通機関を利用しながら傍若無人(ぼうじゃくぶじん)の勝手な行為をする人があります。
 これは「はた迷惑」なだけでなく、社会の顰蹙(ひんしゅく)を買うもので本人にとりましても良いことではありません。昔の親たちは可愛いわが子が社会の「つまはじき者」になってはならないと思うゆえ、子等に「他人に迷惑をかけるな!!」ということを口をすっぱくして言ったのです。このことは、隣近所の子らにも及びました。
 学校の先生の中にも、子供達の将来に熱き思いをかけられた方がありました。私がまだ小学校の高学年の頃でした。生徒数が千人近い学校で、工作の時間は工作室に移動して授業を受けるようになっていました。休憩時間に工作室にやってきた五・六人の級友の一人が黒板に白墨で標的を書き、白墨を投げて中心に当たると「命中!!」と叫んで遊んでいました。そのうち誰かが道具箱の中からキリを持ち出し、標的に投げました。キリはドーンと鈍(にぶ)い音を立てて黒板の標的に突きささりました。 誰かが『おーい、やめとけよ!』と言いましたが、その声は皆の歓声に打ち消されました。新しい友も加わり、興(きょう)に乗じた皆はそのままゲームを続け、始業のベルの鳴ったのも判らないくらいでした。 そこへ五十歳過ぎの体格のがっしりした工作の先生が入ってこられました。皆は我にかえるとあわてて席に着きました。先生は黒板の傷を指でなぞりながら「これをやったものは誰か」とドスの効いた声で犯人に起立を命じられました。しかし皆うつ向いたまま黙っています。私は、これは只では済まぬぞと、おののく思いで先生の次の言葉を待ちました。 しばらく黙っておられた先生は黒板に十三階段(死刑台)の略図を書き「先日ある若者が死刑になった!」とその様子を静かに語り始められました。 「どんな悪者も初めからの悪人はいない。初めはささやかな悪事から始まり、次第に深みにはまり、取り返しのつかぬ結果になる。私はお前達の中からそのような者を出したくない」
 次第に先生の私達を思ってくださる熱き思いがクラス全員の心に染み入りました。
 やがて全員で、やったものも、やらなかったものも(友の行為を制止できなかったことを悔い)皆立ち上がって先生に謝りました。工作の時間はなくなりましたが、ここには生きた人間教育がありました。 これは私にとりましては、山ノ内先生と仰(おっしゃ)るその先生の面影と教室の光景等が忘れえぬ思い出として今もありありと心に焼き付いています。 現在のわが国の教育とは単純に比較することは出来ませんが、わが国には数百年に及ぶ世界に冠たる国民教育の歴史があります。 私達は日本というしっかりした国があって初めて安穏(あんのん)で豊かな暮らしが出来るのです。自分さえよかったら他人はどうでもよいという人間ばかりが増えてくると、国は危うくなります。いまわが国で起こりつつある社会現象を見るとき、きわめて危険な方向へ傾きつつあるのではないかという懸念(けねん)があります。

○私と仏道
 私は人生の大半を僧侶として過ごしてきました。
 私が仏門に入ることになったのは、母の大難産がきっかけでした。かかりつけの産婆さんの手に負えず、急きょ駆けつけられた医師のご判断のよろしきを得て、鉗子(かんし)分娩で呱々(ここ)の声を上げることができ、母子共にかろうじて無事を得ることができました。(この日は昭和二年十月十八日で、毎月十八日は母の信仰する観音様のご縁日です) 私がもの心つく頃になると、毎夕食後、家の小さな仏壇に向かって母と共に小さな手を合わせ拝むのが私の日課でした。お世話くださる方もあって小学校卒業と同時に観音様のお寺で得度(とくど)を受け、仏道修行に入りました。
 私の出家剃髪(ていはつ)の師は優れた人でした。私が十七、八歳の頃、ある日私を自室に呼び「人間が生きてゆけるのは、さんさんと降り注ぐ太陽の光と美しい水、これら天地自然の恩恵と、多くの人々の働きのおかげである。全ての人にはそれぞれ与えられた使命というものがある。自分に与えられた使命は何かを自身に問い、世のため人のため生涯を報恩感謝の心で、使命感を持って生きるように」と諭(さと)してくれました。
 この時の師僧の話は、はじめて聞く「使命感」の語と共に、強烈な印象となって、若かりし私の心を大きく揺さぶり、その後の私の心の拠(よ)り所となりました。
 私はご依頼を受けて近畿警察官友の会の講師に就任して十数年になります。以来、近畿各地の警察署、警察学校等で講演をさせていただいてまいりました。そのとき私は必ず、私の体験を交えてこれらのお話しを申し上げてきました。

○先立つものとしての願い
 わが国の将来は今の若者達の双肩(そうけん)に掛かっています。善にも強く悪にも強いのが若者達です。一度納得して頷(うなず)けば、それがその若者達の心の土台となり、その後の人生を左右することとならぬとも限りません。
 ところが今の社会の有様は、見るもの聞くもの若者達を感動させるどころか、絶望の淵に追いやる要素で溢(あふ)れている感じがします。
 これを私達全体の問題として考え、どうかよき導きを今の若者達に与えたいものです。それが今の日本を変える原動力となればと思っております。
 ご依頼によって、傘寿(さんじゅ=満八十歳)を迎えた今の私の心境の一端を述べさせていただきました。