「空」に生きる―『維摩経(ゆいまきょう)
東洋大学教授  菅沼 晃(すがぬま・あきら)
(2004年『大法輪』1月号より抜粋)

 
 
――仏典データ――
@維摩詰所説経A鳩摩羅什(くらまじゅう=344〜413)
B三巻・十四品C維摩(ヴィマラキールティ)・文殊師利・舎利弗・天女
DヴァイシャーリーE全般
 
   【構成とあらすじ】
 『維摩詰所説経』は一般的には『維摩経』とよばれ、漢訳が三種あるなかで鳩摩羅什(くらまじゅう)訳がもつともよく読まれてきました。わが国で『維摩経』と言えば、これを指します。 
 経典名が示すように、この経典の主人公は古代インドで商業都市として栄えたヴァイシャーリーの富豪である維摩です。ブッダも登場しますが、維摩の活躍の背後にいるだけの役割です。そこで、まず、在家の居士(こじ)である維摩を主人公にすえている点に最大の特色があります。初期大乗仏教の「空」の教えにもとづく生活とはどのようなものか、ということを維摩居士の理論と行動を通して具体的に示しているのが『維摩経』です。
 この経典では維摩居士のほかに、文殊師利(もんじゅしり)をはじめとする菩薩たちや、いわゆる小乗教徒を代表するものとして舎利弗(しゃりほつ)・目連(もくれん)などの十大弟子、天女などが次々と登場して維摩と対論するという形式がとられ、経典全体が三幕十四場のドラマのように構成されています。
 維摩居士は、このドラマの第一幕第二場で、病床に伏している姿で登場します。そこでブッダは舎利弗、目連などの仏弟子中の優等生とも言うべき人々を維摩の病気見舞いに行かせようとしますが、十大弟子の一人一人がかって維摩居士によってやりこめられたことを語り、辞退してしまいます。
この十大弟子と維摩居士との対論のなかで、人間の生死などの問題についての大乗と小乗の考え方の相違が明らかにされます。そこで、最後に文殊師利が維摩居士を見舞うことになり、文殊師利に従って多くの菩薩、仏弟子、市民、神々がヴァイシャーリーの維摩居士の病室に行きます。ここで、「病気の原因は何か、いつ治るのか」という文殊師利の質問に対し、「人々が病んでいるかぎり、私も病む。人々の病気がなくなったら菩薩の病気もなくなる」とこたえ、維摩居士の病気が慈悲の心よりおこっていることが明らかにされます。つづいて維摩居士によって「病気見舞いの心得」が説かれますが、これは現在でも充分に通用する教えです。
 この経典の第二幕(維摩の病室)第三場(観衆生品)では天女が登場し、仏弟子中の秀才といわれる舎利弗と問答してさんざんにやりこめ、舎利弗は天女によって女性の身体に変えられてしまい、男性と女性との相違は幻のようなもので本質は違わないことがドラマチックに示されます。
 第二幕第五場は「入不二法門品」で、この経典のハイライトです。維摩居士は「大乗の究極の真理、境地はなにか」を具体的に、また、体験的に答えてみよ、と居並ぶ菩薩たちに問いかけます。それぞれの菩薩が思うところを述べ終わって、維摩居士にたいして「菩薩が不二の法門に入るとはどういうことか」と問うと、絶対的な真理はことばや理論をこえているとして、維摩居士が一言も発しなかったというシーンは、この経典中の最高の場面です。 
 以下、第三幕は結びの場面で、香積仏(こうしゃくぶつ)国からの香りの食事の話、経典読誦(どくじゅ)の功徳などが説かれて幕が下ろされます。
 【名場面】
 この経典はドラマ仕立てですから、多くの名場面がありますが、一つだけ、天女と舎利弗の対論の場面を紹介しましょう。
 ヴァイシャーリーの維摩居士の病室で文殊師利と居士との対論がおわったとき、突然、天女があらわれて天上から菩薩や仏弟子たちの上に花をふりまきます。すると、その花は三万二千といわれる菩薩たちの身体に当たるとそのまま落ちてしまうのですが、舎利弗などの仏弟子たちの上に落ちた花はかれらの身体に付着して離れません。
 舎利弗が必死になって花を落とそうとしているのを見た天女が「あなたはなぜ、花を落とそうとしているのか」と問うと、舎利弗は「この花は出家の身にふさわしくない(如法ならず)」と答えます。これに対して天女は「この花を出家修行者にふさわしくないと考えてはなりません。この花にあれこれ分別するはたらきがあるのではなく、あなた自身が身を飾ることになるのではないかという、分別の思いをおこしているだけなのです」と答えます。
 天女の力量に感じ入った舎利弗は「あなたほどの力量の人が、なぜ男性の身体とならないのか」と問います。これは、インドの仏教の歴史のなかで、女性がさとりを得て成仏するためには、いったん女性の身体を男性に変えなければならないという考え方(変成男子=へんじょうなんし)があったからです。
 この問いに、天女は「私は十二年間、男性とはちがう女性の本質(女人相)を求めて来ましたが、ついに見つかりませんでした。いったい何を変えろと言うのですか」と答えるや否や、法力によって舎利弗を女性の姿に変えてしまい、さきほど舎利弗が天女に質問したのと同じことばを、舎利弗自身に問い返しました。そこで、はじめて舎利弗は男性に固定した本性があるのでもなく、女性に固定した女性としての本性があるのでもないことを本当に知ることができたのです。
 【教えのキーワード・名句】
「一切衆生病(や)むを以て、この故に我れ病む」
(一切衆生が病んでいるから、私も病むのである。もし、一切衆生の病気がなくなったら、私の病気もなくなるであろう――文殊師利問疾品)



「仏は一音(いっとん)を以って法を演説したまうに、衆生は類(たぐい)に随いて各解(おのおのげ)することを得」
(ブッダはただ一つの音声で教えを説かれるが、衆生は類(たぐい)にしたがって、おのおのが理解でき、ブッダが自分と同じことばで話されたのであると思うものである――仏国品)



「菩薩にして浄土を得んと欲せば、当(まさに)にその心を浄(きよ)むべし。その心浄土に随(したが)いて、則ち仏土浄し」
(もし菩薩が清浄な仏国土をつくりあげようとしたら、その心を浄(きよ)くすべきである。その心が浄くなるにしたがって、その仏国土が浄くなるのである――仏国品)



【訳書・解説書】
高崎直道訳『新国訳大蔵経 文殊部2』(大蔵出版)
長尾雅人訳『維摩経」(中公文庫)
菅沼晃著『維摩経をよむ』(NHKライブラリー)