仏教の名句・箴言集――時代をこえた言葉に生き方を学ぶ
   
(2001年『大法輪』10月号より抜粋)
1. 愚かな者を道づれとするな、独りで行くほうがよい。孤独(ひとり)で歩め(原始経典)
2. 随処に主となれば立処、みな真なり(中国・禅僧・居士)
3. 道心(どうしん)の中に衣食(えじき)あり、衣食の中に道心なし(天台宗)
4. 学問というとも、生死(しょうじ)を離るばかりの学問は得すまじ(浄土宗)
5. 地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし(浄土真宗)
6. 地獄をおそるる心をもすて、極楽を願ふ心をもすて、又諸宗の悟をもすて(時宗)
7. 一大事とは今日只今(こんにちただいま)の心なり(臨済宗)
8. 他は是れ吾(われ)にあらず(曹洞宗)
9. 得は迷い損は悟り(曹洞宗)
10.世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない(仏教古典文学)

 
 
 1.愚かな者を道づれとするな、独りで行くほうがよい。孤独(ひとり)で歩め
                                ――(『ダンマパダ』)
「朱に交われば赤くなる」といった類の教えである。仲間の中におれば遊戯と歓楽とがある。しかし自分が余程しっかりしていないと、歓楽にうずもれ、自分自身を失わせてしまいがちである。釈迦は当時の人間をも次のように見ていた。
「今のひとびとは自分の利益のために友と交りを結び、また他の人のために何かをする。今日、利益をめざさない友は得がたい。自分の利益のみを知る人間は愚かである」と。
 三毒(むさぼり・いかり・おろかさ)にかり立てられながら、それが自分の生きる道であると平然としている者は愚かな者である。自分が愛しいにもかかわらず、自分を悪の道に導いてゆくような者が愚か者である。「みんなですれば恐くない」の意識を持ってしまえば、もう立派な愚か者の一人となってしまう。そのような場合は独りでする方がよい。
 また言う、「旅に出て、もしも自分よりもすぐれた者か、または自分に等しい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け」とも。
 本当に自分の人生の幸福を求めようとする者は、時として毅然とした態度を取ることが必要である。それを経は「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」とも教える。求道の者は他の人々からの悪の道への勧誘や悪口や中傷にわずらわされることなく、ただ独りで、自らの信じた道にしたがって生きてゆくようにすることがよい、犀の角が一つしかないように、といった意味である。
 このことから、昔は修行者達はみんな林や山の中で独りで修行していたようである。われわれのように人の世界に生きる者にとっては、精神的にこのような意識を保っておかないといけないということだろう。
 なにしろ、悪の誘惑に満ち満ちた今の世であるからなおさらである。《仏教大学教授・田中典彦》
     

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 2.随処に主となれば立処、みな真なり――臨済義玄(『臨済録』)
 臨済義玄(?〜八六七)のこの句は、文字通りには、いかなるところに於いても、主人公となるならば、おのれがいる場所はみな真実の場となる、という意味になろう。もう少し具体的に述べれば、「随処作主」とは、いかなるところにあっても、心を外に向けなければ、外のものに振り回されなければ、という意味であり、周囲に気を取られずに、集中し心をこめれば、ということになろう。「立処皆真」とは、その集中し心をこめたところには、善悪、凡聖(ぼんしょう)、迷悟の相対分別を越えた一真実の無心の世界、無限の心の世界、無礙なる安心立命の世界が顕れるという意味になろう。
 人は思うように行かなくなると、心がちぢに乱れ、一つのことに専念できなくなる。周りが気になり出して、外のものに心が奪われ、集中力もなくなる。こういう時こそ、腰をすえ腹をきめて大きく深呼吸を繰り返し、一つの事柄に専一に力をそそぐこと、心をこめることが重要である。集中力を発揮しなければならない。このような集中力こそ禅定力(ぜんじょうりき)と言えるのではなかろうか。
 そうすれば、必ずや、自ずと徹底無心の、大宇宙をも超越する無限の心の世界、善悪、生滅、迷悟に惑わされない、一真実の無心の世界、すなわち無限の心の世界を手に入れることができる。 《華厳学研究所長・小島岱山》
     

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 3.道心(どうしん)の中に衣食(えじき)あり、衣食の中に道心なし
                             ――最澄(『伝述一心戒文』)
 道心とは、仏教を学び実践する心をいいます。目標に向って努力をする心、といってもいいでしょう。衣食とは、文字通り衣食住の生活環境のことです。
 伝教大師最澄は、道を求めて努力を重ねる向上心があれば、その目的を達成するのに必要な衣食住は、けっして十分とはいえないまでも、おのずとついてきます。一方いくら生活に恵まれていても、その生活の中からは、むしろ安逸に流されて、道を求め自分を高めようとする心は、起きてきません、と述べています。
 奈良朝文化が爛熟期を迎え、遷都に揺れて先き行き不透明になった時代に、最澄は約束された栄達の道を放り出し、比叡山に籠り求道一筋の生活に入りました。その体験から発せられたこの言葉は、今日でも傾聴に値します。
 現在の私たちの生活は、物質的に大変豊かになりました。不景気といわれても、町に物が溢れています。にもかかわらず不安感が漂っています。さらに技術革新は多くの利便性をもたらしたものの、人々から想像力を奪い、他人を思いやる心を著しく低下させてしまいました。不安に駆られ、自己中心で感謝の心を失った人間が増え、思い通りにならないとその不満を、他人への怨みにすぐ転化させます。
 次々とやり切れない事件が起きている背景には、人格を養う教育が軽視されてきたことがあるからではないでしょうか。物に囲まれて便利に生きることが、本当に人間らしく生きることなのか、考えなおすときに来ています。《東京・円珠院住職・杉谷義純》
     

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 4.学問というとも、生死(しょうじ)を離るばかりの学問は得すまじ
                            ――聖光(『浄土宗要集』第二)
 この言葉は、法然上人の直弟子で浄土宗第二祖の聖光房弁長(しょうこうぼう べんちょう)が、師法然上人から聴いたことで「聖教(しょうぎょう)を見るとも、生死を離るばかりの聖教を見るべしとも覚えず」と続く。すなわち、「学問するといえども、自らの生死の問題を離れてしまうような学問は決してすべきでない。聖なる教え(仏の教え)を見聞するにあたっても、生死の問題を離れてしまうような(態度で)教えを見てはならない」と。
 法然上人の厳しい学問観が、ここに語られている。十五歳の時に比叡山で受戒し、四十三歳での浄土宗立教開宗に至るまでの長い期間を仏道修行及び学問に徹底し、一切経を数回読み切った法然その人が到達したのは「自らの生死の問題を離れてしまうような学問は決してすべきでない」ということである。
 学歴社会とか高学歴化などと言われて久しい我が国の社会では、「一体、学問するとはどういうことか?」と問いかける力が極めて弱くなり、単なる知識の集積による"もの知り"、"知識の切り売り"としての学問が跋扈(ばっこ)している。それは、あたかも「物品を手に入れて持ち歩くような、何処かに忘れてくれば失うような」学びでしかない。
 元来、知識とか教養はどこまでも、それを身につける人の"生死の問題"において意味と意義とを発揮するものである。法然上人が自らの求道の現実において実践したように、二十一世紀を生きる私たちもこの言葉に重く学びたいものである。  《佛教大学教授・藤本浄彦》
     

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 5.地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし――親鸞(『歎異抄』)
『歎異抄』第二章中の言葉。その前に「いずれの行(ぎょう)も及びがたき身なれば、地獄は一定すみかぞかし」とつづきます。
 そこへくるまでの文意は、「ただ念仏だけ、という簡明な教えの裏に、実はもっと別の方法や奥儀などがありはせぬか」という疑いを抱いて、関東から訪ねてきた、この書物の筆者唯円房(ゆいえんぼう)はじめ幾人かの弟子に、親鸞は「この親鸞には、ただ念仏して弥陀にたすけられるという、よき人法然さまの仰せをいただいて、信じる以外何もありません。私は、念仏が極楽へ生まれる因(たね)か、地獄へ落ちるものなのか、まったく知りません。師法然さまにだまされて、念仏して地獄へ落ちたとしても、後悔はありません。なぜなら、自分の力で何か行をして仏になれるはずのものが、念仏で地獄に落ちたのなら『だまされた』と悔みもしようが」と言葉を進めた後、この「どんな行をしてもできっこない、愚かで無能のこの私だから、もともと最低の地獄こそが、私にふさわしい定位置なのです」といい切るのです。
 鍵になる言葉は「いずれの行も及びがたき身なれば」です。そういう愚かで能のない私。いくら善いことでも、自分の損になることはしようとしない。いくらしてはならない悪事でも、自分につごうがよければ、ついしてしまうこの私。これが私の正味本音なのだから、地獄に落ちえて当り前の私と、成り行きを選り好みせず受けていく。それで一切きりがついていきます、と。いかなる地獄でも恐れず、嫌わず、神妙に、楽々と受けていく。この「地獄一定」の一語は、人間がたすかった世界なのです。地獄一定とは、実に明るい、軽々と歩む、私たちの本来姿勢をいい当てています。  《同朋新聞編集委員・亀井鑛》
     

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 6.地獄をおそるる心をもすて、極楽を願ふ心をもすて、又諸宗の悟をもすて
                           ――一遍(『一遍上人語録巻上』)
 これは、ある僧徒に念仏の安心(あんじん)を尋ねられた一遍がしたためた返書による。
 普通に考えれば、「地獄がおそろしいから」「極楽に往生したいから」念仏するのであるから、当時の常識からしても明らかに異端である。一遍は、この手紙の前段で智慧も愚痴も、善悪の境界も、身分や社会の道理、一切合切を捨てて称えるのが本物の念仏だと説いている。その上で、極楽に往生したいという気持ちさえ捨てよ、というのだ。
 逆転の発想といえば、これほど逆転の発想もない。往生を求めるがゆえの念仏であるはずなのに、その「極楽を願ふ心」が妨げになるというのだから。
 さらに一遍は説く。「善悪の境界皆浄土なり。外に求むべからず、厭(いと)うべからず」(大意 そうやって念仏を称えれば、善も悪もない。全てが浄土なのだ。この世のほかに浄土を求めるべからず。そして、この世を嫌うべからず)
 求める気持ちが強いほど、その対象は手に入らず、捨ててこそ得られる……。中世の人々の「浄土」は、現代人にとって何なのだろうか。  《時宗遍照山阿弥陀寺・副住職・朝野倫徳》
     

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 7.一大事とは今日只今(こんにちただいま)の心なり――正受老人
 ある人の話に、「自分は『一日暮らし』ということを工夫するようになってから、精神がすこやかになって、それが養生の要だと言う。
 どういうことかと聞けば、一日は千年万年の初めだから、一日だけ暮らせるほどの務めを果たせば、その日が過ぎるのだ。
 それを、翌日はどうしてこうしてと、まだ来ぬ先のことまで思案して苦しんでいる。すると翌日のことに呑まれて、今日のことまで疎(おろそ)かになるものだ。
 とにかく明日のことは、命のことも覚束(おぼつか)ないとはいえ、今日の暮らしを粗末にしてよいものではない。この一日を暮らすだけの務めを励むことだ。どんなに苦しくとも、一日と思えば堪えやすい。楽しいことも一日と思えば、溺れることがない。一日一日と思っていれば退屈することもない。一日一日と思えば、百年千年も努めやすい。一生と思うから大層になる。一生は長いと思うが、明日のことも二年三年また百年先のことなど、だれも判る人はいない。死んだら終わると思えば、一生は果たしやすいものだ」と。
 一大事というのは、今日只今の心だ。今の心を疎かにして明日の充実はない。すべて人は、先のことを計っても、当面の今を失っていることは気づかない。
 これは、信州飯山の正受庵に住した、正受老人・道鏡慧端禅師(一六四二〜一七二二)の語である。  《茨城・菩提禅堂堂主・形山睡峰》
     

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 8.他は是れ吾(われ)にあらず――用(ゆう)和尚(『典座教訓』)
 道元は嘉定十六年(一二二三)四月、入宋(にっそう)して明州慶元府に着いた。まだ、修行する寺も決まっていないため、やむを得ず船の中に泊まっていた時、阿育王寺(あいくおうじ)の典座(てんぞ・炊事の担当者)が船にやってきた。六十一歳の老僧で、しいたけを買いに遠い道のりをやってきたのである。老僧は、明日雲水に麺汁(めんじる)を出すのだという。道元はくつろいでゆっくり食事でもすることを勧めたが、老僧は自分がいなければ朝食を出すことができないと断った。
 道元は「あなた一人ぐらい、いなくても食事の用意は誰かがやるでしょう」と言った。すると老僧は「自分が老年でこの職をつとめているのは、老人としての修行をしているのであり、どうして他人にこれをゆずることができましょうか」と答えた。わずらわしい炊事の雑用こそが老僧の修行だと説くのである。道元は、その意味がよくわからなかった。
 天童山で修行していたある日、用和尚より真の修行とは何かを教わった。用和尚は真夏の炎天下に笠もかぶらず、汗をぬぐおうとせず一生懸命にしいたけをほしている。背骨は弓のようにまがり、眉毛は真白で苦しそうに見えた。道元は思わず「あなたはお歳であるから誰かに手伝わせたらどうか」と言ったところ、用和尚の答えた言葉がこれである。
 これは私の仕事であり、もし他人が行なったならば自分の修行にはならない。自分の修行はどこまでも自分の修行であり、他人の修行とはかかわりがない。
 この言葉を聞いた道元は、本当の修行とは何かが見えてきたのである。  《愛知学院大学教授・川口高風》
     

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 9.得は迷い損は悟り――沢木興道
 沢木興道が提唱でよく言われた言葉である。沢木は周知のごとく、昭和初期より同四十年まで禅界の第一人者として活躍された人である。
 明治十三年、三重県津市に誕生した。母は五歳、父は八歳の時に逝去したため兄弟、姉妹はばらばらになり、女中奉公や親類にあずけられた。沢木があずけられた叔父は半年後に急逝したため、沢木文吉の養子になった。養父母の言いつけで、博奕場(ばくちば)へぼた餅を売りに行ったり、下足番をして複雑な世の中の裏を少年時代に知った。
 小学校を出て稼業の提灯屋に精出しつつ養父母を養っていたが、しだいに自分の人生に疑問をもつようなり、十七歳の時、永平寺へ行き出家をねがった。縁あって九州天草の宗心寺の弟子となり、宗典や仏教学を学んだ。後に熊本の大慈寺僧堂の講師、駒沢大学教授、大本山總持寺後堂を勤めたが、生涯、住職寺院をもたず、自らの著作もせず、只管打坐(しかんたざ)の生活であった。いつの間にか「移動叢林(そうりん)」とか「宿無し興道」と称されるようになった。
沢木の一生は清貧の生活であり、名利(みょうり)財産すべてを捨てて何もなかった。人間は得した時、欲を出した時、必ず迷いが生ずる。逆に損をした時、失った時、何もないため欲は起きず、すがすがしい気持ちになる。無一文、無一物の生活を実行したところから出てきた沢木の名句である。  《愛知学院大学教授・川口高風》
     

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 10.世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない
                         ――宮澤賢治(『農民芸術概論綱要』)
 宮澤賢治(一八九六〜一九三二)が、花巻農学校に併設された国民高等学校で講義した、「農民芸術論」をもとに構想されたものとされる『農民芸術概論綱要』の一節。
 宮澤賢治は法華経の教えに心酔し、独自の境地を切り拓いて、農業・教育・文学など多くの方面においてその才能を発揮した。
 世界全体が幸福にならなければ個人の幸福はありえないとする考え方は、仏教の世界観、なかでも法華経の菩薩思想に立脚したものと考えられている。
 私たちの生活しているこの世界は、あらゆるもののつながりのなかで成り立っている。人も物も、宇宙全体が不思議な縁(えにし)の糸で結ばれている。
 したがって、他と切り離した私一人の存在というものはありえない。私たちは宇宙のすべてのものとつながっているのである。
 そうであれば、私たちは宇宙的規模のいのちのなかで生きているのである。私たち一人ひとりにとっての本当の幸せは、宇宙全体の幸せの中にあるのである。それが私たちのめざす「本当の世界」でなければならない。
 その真実を開示するために仏様はこの世に出現され、その真実を実現するために私たちはこの世に生をうけたのである。  《沼津・龍雲寺住職・村越英裕》
     

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