| 清沢満之と「精神主義」 |
| 大谷大学教授 安冨 信哉(やすとみ・しんや) |
| (2001年『大法輪』11月号より抜粋) |
明治は、日本にとって近代の夜明けとなった時代です。日本は、西洋列強に伍して富国強兵のかけ声のもと、産業社会に突入しました。しかしこれとともに社会の矛盾や人間の苦悩も深まってきました。そのような近代文明の病いが表面に顕在化してきたのが明治三十年代です。 この趨勢を背景に、仏教界にも新しい潮流が興ってきます。社会の矛盾に抗した運動として、まず注目されるのは、仏教清徒同志会(明治32年2月結成)の運動、すなわち新仏教運動です。この人々は、既成教団の腐敗や堕落と訣別し、仏教再生をめざす覚悟を示すために、キリスト教のピューリタンに対応して、「仏教清徒」と称し、信仰による社会の改革をめざし、 一、我徒は、仏教の健全なる信仰を根本義とす。 二、我徒は、健全なる信仰、智識、及正義を振作普及して、社会の根本的改善を力(つと)む。 など、六条の綱領を定めました。かれらは、一衣一鉢(いちえいっぱつ)で飄然として独りあって、山林幽谷にこもるような者は、真の仏教者にあらずとして、足尾銅山鉱毒事件や公娼問題について、機関誌『新仏教』(明治33〜大正4)を舞台にして、社会の矛盾を告発しました。境野黄洋(さかいのこうよう)・田中治六・高島米峯・加藤玄智・渡辺海旭らが中心となって、鋭い論陣を張ったことは、近代仏教における先進的な位置を占めます。 一方、明治の新しい社会の中で苦悩する個人に、仏教の側から問題解決にアプローチした代表的な信仰運動として挙げることができるのは、清沢満之(きよざわまんし)の精神主義と高山樗牛(たかやまちょぎゅう)の日蓮主義です。満之と樗牛は、個我の叫びを明治精神界にあげた数少ない仏教者でした。二人の出現の意義について、島地大等(しまじだいとう)は、 この重大なる危機に当って、仏教界より現れた新信仰が二つある。一は精神主義であって、他は日蓮主義である。前者は明治三十年清沢満之の唱ふる所であって、後者は明治三十四年高山樗牛の唱ふる所であった。この二個の信念は、明治宗教史上に顕れた最も重要な主義・信念であって、当代における二個の燈明であったばかりでなく、確に相当の生命を有する代表的思想である。(『明治宗教史』) と指摘しています。島地は、閉塞した明治三十年後の時代状況のなかで、個我の叫びをあげた人として、満之と樗牛という二人の仏教者を積極的に評価したのです。 ここに、仏教護国論・仏教国益論を主流とした明治二十年代の仏教運動、たとえば大内青らん(おおうちせいらん)の「尊皇奉仏」、井上円了(いのうええんりょう)の「護国愛理」あるいは田中智学(たなかちがく)の「立正安国」などの主張とは異った新しい潮流をみることができます。 2 宗教哲学者・清沢満之 仏教清徒同志会による新仏教運動、高山樗牛の日蓮主義、清沢満之の精神主義は、明治中期を代表する仏教運動でした。しかしこれらの運動のなかで、島地が指摘したような「相当の生命を有する代表的思想」として、現代でも評価が高いのは「精神主義」です。そのことは、最近、今村仁司氏が、満之の思想に注目し、『現代語訳・清沢満之語録』を岩波現代文庫の一冊として編訳・出版し、現代の思想界にこれを紹介したことからもうかがうことができるでしょう。 ……(後略) |
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