坂村真民先生一周忌に思う
真言律宗・蓮華院誕生寺貫主 川原 英照(かわはら えいしょう)
(2007年『大法輪』12月号より抜粋)

 
   
  真民先生と私
 昨年の12月11日、「仏教詩人」と呼ばれた坂村真民先生が、98歳を目前に亡くなりました。真民先生を私が知ったのは35年前に遡(さかのぼ)ります。まだ学生だった頃に、『自選坂村真民詩集』(大東出版社刊)を手にしたことからご縁が始まりました。
 その頃の私は、それほど詩が好きだった訳ではありませんが、この詩人が私と同郷の士であること、そして何と言ってもその詩集に序文として書かれていた森信三先生の言葉が心に残りました。
 序文には「真民氏の(詩には)深い大乗仏教への信がこれを伝えているということ……氏において生きている大乗仏教の精神なるものが、単なる旧(ふる)き観念的諦念ではなくして、常に現代における人類最深の苦悩と切り結んでいることを知らしめられる……」「だが氏の詩業の真価が、真に国民一般に知られてその有となるのは……結局は氏の死後という他ないと思われる……」と書かれていたのです。 私の心に青春時代の純粋な感性が次第に陰り始めた頃、ある仏教系機関誌の編集者から、坂村真民先生の随筆集『念ずれば花ひらく』(柏樹社刊)と手紙が届きました。その便りによって森信三先生が予想されたより早く、真民先生が「国民詩人」として広く深く人々の心を動かしていたことを知らされました。
 それは真民先生の「念ずれば花ひらく」の詩碑が、日本全国に100基以上建てられていること(現在は760余基)、そして海外にまで建て始められていることでした。しかし、出身県の熊本県には未だ一基も詩碑が建てられていないことを先生が寂しく残念に思っておられること、なども知りました。
 随筆集に目を通すと「小岱山(しょうだいさん=熊本県北部の霊山)から風が吹いてきた……」から始まる文章に、私の心は釘付けになりました。その瞬間に、青春時代に手にした詩集の内容が蘇(よみがえ)り、〈ああ、坂村真民先生が私を呼んでいる〉という思いが湧き出してきたのです。詩心は乏しいなりに、その随筆集に出ていたいくつかの詩を読むうちに、その真摯(しんし)な生き方と、次の世代の若い人々への温かいまなざしを感じたのです。

子どもの詩コンクール開催
 当寺では、先代住職の時代から、青少年の育成のために様々な活動を行なってまいりました。例えば春夏の少年少女のための合宿研修会、子どもスケッチ大会、少年相撲大会等々。また、27年前にカンボジア難民支援から始まった国際協力でも、チベット難民の子ども達のための絵本の復刻、スリランカの「心の里親」としての奨学金、タイのスラムでの人形劇団の巡回公演、ミャンマー難民の子ども達のための学校運営など、海外でも子ども達への接点を多く持った活動を続けてきました。
 ついに意を決して、平成2年2月8日、愛媛県砥部町(とべちょう)にお住まいの真民先生の許に伺いました。目的は二つ。まず第一には当寺の境内に「念ずれば花ひらく」の詩碑を建立したいということ。今一つは熊本県内の小・中学生に「お父さん」「お母さん」というテーマで詩を募集したいので、その最終選者になって頂きたい、というお願いを持っての面会でした。
 いずれも即座にご快諾頂きました。特に「お母さん」のテーマで子ども達に詩を書いてもらう催しについては、『「お父さん・お母さん」それは良い! それは良い!……』と諸手(もろて)を挙げて賛同して頂きました。
 真民先生のお父さんは、真民先生が八歳の時、玉名小学校(現熊本県玉名市内)の校長として校内のみならず、玉名村の全人教育に邁進しておられる最中に、40歳にして突然亡くなられたのでした。以来お母さんの手一つで五人の兄弟と共に玉名の地で育てられたのでした。ですからお母さんに対する思いは人一倍深く強く持っておられたのです。 平成2年6月12日、真民先生にとっては139番目に当たる詩碑が、当寺の奥之院に建ちました。碑文は「念ずれば花ひらく」です。「これから始める『子どもの詩コンクール』が末永く続き、多くの子ども達の参加がありますように、そして親を大切に思い、ふるさとを愛する子どもが一人でも増えますように」という願いを込めて、詩碑除幕式を致しました。この碑は真民先生が少年時代を過ごされた玉名を背にして、誕生の地を見下ろす場所に今も建っております。
 その年の9月15日には、第一回「子どもの詩コンクール」の表彰式を開催致しました。その中で真民先生は「私は父、母の恩に報いるために詩を書いてきました。この催しが子どもを詩人にするためのものであれば、私は今ここに居りません。この催しの主催が『親を大切にする子どもを育てる会』(当寺に事務局を置く)で、子ども達に父、母をしっかり見つめて頂いて、それを詩にすることによって親の大切さを知ってもらいたいのです。私の命の続く限りこの催しに協力したいと思います」と、選者としてのご挨拶をして頂きました。
 そして後で知ったことですが、その日は何と真民先生のお父様の七五回忌のまさにその日に当たっておりました。当時80歳であった真民先生は、以来12回に亘って審査委員長を務めて頂いたのです。
 この催しの10周年を記念して「大宇宙大和楽」の第509番碑と、真民詩の代表作である「二度とない人生だから」の第510番碑を建立し、平成12年9月に除幕入魂式を致しました。
 「私の命の続く限り」とおっしゃられていた先生も、さすがに90歳代に入られると、一切を廃して詩作に専念したいと、第12回、つまり92歳までこの催しに参加して頂きました。
 その後は真民先生のご推薦で、無着成恭師に最終選者を務めて頂いております。第1回からこれまでの18回で、県内の小中学生の参加総数は、延べ9万6659人に及びます。その内、毎年約100点を詩集として発行し、その中の特別三賞を、毎年11月3日に当寺の奥之院に詩碑として建立してきました。この子どもの詩碑の総数は現在55基になります。 6年前から現在まで審査委員長を務めて頂いている無着成恭師は、ますます混迷の度を深める現代にあって「やはり『親を大切にする』このことしかない」と選者としての実感を記しておられます。 現代は子どもに親孝行を教える人が極端に少ないと思います。ともすると「親孝行」という言葉そのものが死語になりつつあります。
 当寺では信徒のために20年前から吉本式内観の研修道場を開設しています。この内観は、両親や周りの人々に対する自分を年代別に、①して頂いたこと・②お返ししたこと・③ご迷惑をかけたこと、を調べるものです。
 この修行の中から多くの人々が生きる意味や生き甲斐を見出して新たな人生を歩み始めています。その中で「お母さん」に対する自分を調べていくうちに、多くの人はより深い内観に入っていかれます。「子どもの詩コンクール」のように小、中学生に詩を書いてもらうことは、まさに子ども達が親を見つめ直すことであり、親の深い愛に気付き、引いてはふるさとへの愛に目覚める良いきっかけとなっています。
 願わくは本誌を読んでおられる方々の中から、子ども達に「お父さん、お母さん」をテーマとする詩を募集する運動が広がることを心より念じつつ、最後にこれまでの詩から二つを紹介して筆を置きます。 合掌

 宿題
今日の宿題は つらかった 今までで いちばんつらい宿題だった
一行書いては なみだがあふれた
一行書いては なみだが流れた

「宿題は、お母さんの詩です」 先生は そう言ってから
「良子さん」
と 私を呼ばれた
「つらい宿題だと思うけど  がんばって書いてきてね。
 お母さんの思い出と  しっかり向き合ってみて」

「お母さん」
と 一行書いたら お母さんの笑った顔が浮かんだ
「お母さん」
と もうひとつ書いたら ピンクのブラウスのお母さんが見えた
「お母さん」
と言ってみたら 「りょうこちゃん」 と お母さんの声がした
「お母さん」
と もういちど言ってみたけど もう 何も 聞こえなかった

がんばって がんばって 書いたけれど お母さんの詩は できなかった
一行書いては なみだがあふれた
一行書いては なみだが流れた
今日の宿題は つらかった 今までで いちばんつらい宿題だった でも
「お母さん」
と いっぱい書いて お母さんに会えた」
「お母さん」
と いっぱい呼んで お母さんと話せた
宿題をしていた間 私にも お母さんがいた   (平成3年 小学六年生)

 かけがえのない大切なもの
何故 私は 耳が聞こえないんだろう
何故 私は 障害をもって産まれてきたんだろう
ふと 気がつくと いつも考えてた

私は幼いころから
障害をもって生きていく厳しさ
世の中の厳しい現実
人のあたたかさ
感謝する心の大切さを教えられた
父と母はいつも厳しかったが その厳しさの中には社会に出ていったとき
世の中を生き抜いていく力を 身につけてほしい
という 願いが込められていた
私が 厳しさと共に感じていたのは いつも最高のあたたかさだった

あなたの耳と代わってあげられたら…いつも 父と母は言う
でも 代えることはできない その代わりに 私を どんなときでも 精一杯応援してくれて
支えてくれて 一番に理解してくれて
そして 一番の味方でいてくれる

私は耳が聞こえなくてよかったなって思う
だって そのかわりに こんなにすばらしい父と母に 出会うことができたから
私のために こんなに頑張ってくれて
私のことを こんなに大切にしてくれる人
絶対 他にはいない

…中略…

お父さん お母さん
耳が聞こえなくて 困ることがたくさんあるよ
苦しくってたまらないときも  悔しくってたまらないときも  いっぱいあるよ
でも これから先も そういう いろんなことが待ちうけていること 覚悟してる
その壁に背を向けないで
一つずつ 一つずつ 壁をなくしていくから ずっと見守っていてね

お父さん お母さん
私に 耳の障害 もたせてくれて ありがとう
今ね ほんとに 心の底から 耳が聞こえなくてよかったって思うんだ
だって もし障害をもっていなかったら 今の私はいなかったと思う
それに 私の かけがえのない大切なもの
何なのか 誰なのか  それを すぐ見つけることができたから

…中略…

私は
これからも まっすぐと前を見つめて
強く 強く生きていきます           (平成18年 中学三年生)