『般若心経』の「空」体験
西国二十九番・松尾寺住職 松尾心空(まつお しんくう)
(2006年『大法輪』2月号より抜粋)

 
   
  必死の徒歩行のなかで
 蟻(あり)の熊野詣(くまのもうで)に因(ちな)んで名づけたアリの会が、徒歩巡礼を始めて十八年、行路は七千㎞に及びます。ところで一昔も前のこと、地元のロータリークラブの有志が、私どもの徒歩行に刺戟(しげき)されてか、東舞鶴(ひがしまいづる)から地区大会が開催される洛北の地、宝ヶ池の国際会議場まで百㎞に余る道のりを歩いて参加しようという「前代未聞」の企(くわだ)てが生れました。都合三泊、最終日は開会に臨んで賑々(にぎにぎ)しく入場ということになり、壇上に招ぜられた会員は、ひときわ高い拍手を以て迎えられたと聞きました。
 私の友人も特別参加していて、パストガバナー、当時の千宗室家元に握手をしてもらった、と語って頗(すこぶ)る満足気でありました。
 さて、その道中のこと、第二日目は熊川(福井県遠敷郡(おにゅうぐん)上中町)から大原まで五十㎞もの行程でしたが、この行脚(あんぎゃ)のみ、私の家内と知人の医師夫人も行を共にしたのです。
 平素、巡礼行に馴(な)れているとはいえ、六十歳を過ぎた身には一日三十五㎞ぐらいが限界ですが、五十㎞となるとこれは明らかにオーバーロードです。壮年のロータリー会員の中には、ランニングまがいの駿足で目的地に逸早く到着した人もあったようですが、婦人二人は、はなから隊伍から取り残されてしまいました。四十㎞を過ぎ、四十五㎞ともなると、一歩歩む毎の疲労度は幾何(きか)級数的に加わってゆきます。
 ところで、その疲れとの闘いの中で家内が必死ですがったのは般若心経の読誦(どくじゅ)でありました。苦しみを忘れるため、疲れを癒すため、痛みを和らげるため、欲も得もなく繰り返し繰り返し念じ続けて歩んだと申します。
 疲れると話をするのも物憂(ものう)くなるもので、二人は全く無言になり、時に足裏のまめの中にできたまめの手入れに、医師夫人お手のものの手術用鋏(ばさみ)で治療して助けあい、かばい合いながら、やっとの思いで大原の宿にゴールインしたものでした。
 ところで、ロータリーとしても初めての、しかも他のクラブにもかつてないこの企てを、文集としてまとめようということになりました。
 そうして刷り上ったものを見て、家内はアッと驚いたものです。医師夫人も疲れの深まる中、心経を一生懸命唱えた、と書いているではありませんか。
 疲労と痛苦が極まる中で、奇(く)しくも二人は心経の読誦にすがったものでありました。
 この、欲も得も離れて、とにもかくにも左右交互に足を一歩前に、と念じてひたすら「歩む」行一点に心を集中している時、これはまさしく「空(くう)」なのではありますまいか。
   色即是空(しきそくぜくう)  空即是色(くうそくぜしき)
は、広くなじまれた語句でありますが、色と空は、字句の上では本来異なったものでありながら、色を離れて空があるわけではなく、空を離れて色はない、と教えています。
 これは、よく水と波の関係にもたとえられていて、波の実態は水であり、水は時あって波立つわけで、両者は相即(そうそく)しています。
 森羅万象(色)全ては無常、空であり、空の相は森羅万象の姿をとるのであります。同様に、歩む人の心も空となり、空はその心に表われると申せましょう。
 しかし、生者必滅(しょうじゃひつめつ)と説き、盛者必衰(じょうしゃひっすい)と決めつけたとて、果して我々は日常の感覚の中でどれほど理解しているでしょうか。地球は自転し公転しているという事実は、私たちの日常の感性と無縁であるのと同様に思われます。
 ただ親しい人の突然の死に無常を思い知らされ、或いは冒頭述べた極度の疲労の中でのみ、自己を忘れた空に近づくのであります。


あるピアニストの体験
 ここで今一つ、ワルシャワで開催されるショパンのピアノコンクールで日本代表の審査員をつとめる遠藤郁子さんの体験に触れたいと思います。
 彼女は二十九歳にして、周囲の反対を押し切って三十歳年長の夫の後妻になります。先妻の子は彼女より年長でありました。その後は、一日十時間に及ぶピアノの練習、週二回の大学でのレッスン、一月二十回のコンサート、家でのレッスン、しかも心臓を病んだ夫の介護等々、一日三時間の睡眠しかとれぬ日が続きました。その上、四十五歳にして乳癌を患(わずら)いました。その時の彼女の心境は、
 「死のときも誕生の時と同じ『本来無一物(ほんらいむいちもつ)』だから、従って髪の毛一本、爪の垢(あか)すら持ってゆけない。自分の肉体の存在も『空』なのだから」
ということでありました。これは旧訳聖書の「コヘレトへの言葉」(伝道の書、第五章十四節)の、
 「人は、裸で母の胎(たい)を出たように、裸で帰る。来た時の姿で、行くのだ。労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない」
と全く同じ思いでありましょう。無から生れて無に帰する本来無一物、波立った水は元の水面へと戻ります。
   不生不滅(ふしょうふめつ)   不増不減(ふぞうふげん)
のいわれでありましょう。しかし、彼女にはただ一つの未練が残されていました。自分が納得できる、心から美しいと思えるピアノの音をまだ残せないでいる、ということです。
 夫の死は目前にあり、そして子どもたちも戻っているという家の状況の中で、彼女は全てを放棄して離婚を決意します。生活の保障を失なった彼女にとって、ピアノが弾(ひ)けなくなることは即(そく)飢え死にを意味しました。だから抗癌剤をうつことがピアノを弾けなくなる二年間につながることを知って、彼女は薬の服用を拒否します。
 「どんなことをしても恢復(かいふく)しなければならない、けれど『空』になれれば怖れも不安も起こりようがないし、その頃は生きることのみが目的であったから、恢復に専心することができた。こんな心の状態が般若心経の『空』にあたる、ということはあとになって知った」
 要するに空とは、抗癌剤を拒んで必死の思いで生きぬこうとする日々の体験の中で実感されたものであって、後に耳にした心経の「空」とは正しくあの体験そのものであったと知るのであります。そして、この「『空』になれれば怖れも不安も起こりようがない」ことこそ、
 無罣礙(むけいげ) 故無有恐怖(こむうくふ)
 (さまたぐるものなき故に怖れもなし)
なのであります。
 挙句(あげく)、彼女は「病院始まって以来のスピード」で恢復し、その演奏が再開されると次々に不思議なことが起こります。
 松本サリン事件の被害者河野澄子さんの、一時的とはいえ意識の恢復、自殺志望者が思いとどまる、身体障書者が生甲斐を見出す……など。
 恐らくは、火焔(かえん)の地獄をくぐりぬけた彼女の人生体験が、その鍵盤を叩く指先にこめられて、追いつめられた運命に立つ人々に、いのちの芽生えを与えるのでありましょう。
 私はこの話を知って、彼女のCD「序破急」と「空風火水地」を入手して、耳を傾けたものでありました。


中務茂兵衛と遊女の呪文
 さて、話を今一度徒歩巡礼にもどします。
 四国遍路で時折眼につくのは、年古りた大きな石標で、それには建立寄進者、中務茂兵衛(なかつかさもへえ)の名が刻まれています。
 この道しるべは、二百二十基建立されている由(よし)ですが、彼はふとした縁で、遊女が「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と唱え、大師の加護を祈念して腹部を按撫(あんぶ)するさまを眼にして、お大師さんの、庶民が共有する広大な功徳力に触れたのであります。
 かくして四国遍路を思い立ったのが慶應二年(一八六六)、二十歳の時のことで、爾後(じご)大正十一年(一九二二)七十六歳に至るまで、実に二百八十回の遍路行を続けたのであります。特に若年では一年平均七周に及ぶ強行軍でありました。今日とは比較にならぬ道路事情であったことを思い併(あわ)せると、なまじっかな覚悟でできることではありません。遍路を始めて間もなく母逝去(せいきょ)の報せが入りますが、帰郷をしなかったことにも彼の決意が偲ばれます。正に千日回峰行(かいほうぎょう)にも劣らぬ波羅蜜行(はらみつぎょう)(彼岸(ひがん)に至る行)であったと申せましょう。
 時に道中、茂兵衛の歩む姿を見た子供たちが「生き仏」が歩んでいるとささやきあったといいます。またそのお加持(かじ)にあずかろうと待つ人も多く、中には「行衣(ぎょうい)」を差し出して茂兵衛の着ていたものと更(か)えてもらい、病人に着せて快癒したという話もあります。
 ともあれ、彼の遍路の機縁となった、遊女の唱える「南無大師遍照金剛」とは、俗にいう「まじない」であり、呪文(じゅもん)でありました。
 般若心経の二百六十二文字の説くところの究極は、最後の呪文に集約されるのであります。
 羯諦(ぎゃてい) 羯諦(ぎゃてい) 波羅羯諦(はらぎゃてい)
   波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい) 菩提娑婆賀(ぼじそわか)
 (到れり。到れり。彼岸に到れり。
   彼岸に到着せり。悟りにめでたし)
 時に、時間が切迫していて心経を全て読誦することすらかなわぬ時は、この呪文を唱えることを以て、経典読誦に代えるのも、その所以(ゆえん)によるのであります。
 また、彼岸に到る(波羅蜜多)方便として、六波羅蜜(布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧(ちえ))を行ずることが勧められていますが、徒歩による道行きでの心経読誦こそは、文字通り彼岸に辿(たど)り着こうとする行脚精進行であって、道中、下肢から腰の辺りにまで上ってくる痛苦に堪(た)えながら、これぞ法悦境と思いなしての「到れり、到れり、彼岸に到れり」の心経読誦は、正に珠玉の「空」体験なのではないでしょうか。
 中務茂兵衛には比すべくもありませんが、今後とも巡礼行を続けたいと念じております。
 畳の上の 命終(みょうじゅ) 衆人(ひと)ら願うれど
   我は観音道(みち)にて 果(は)つるも悔(くい)なし