| 日蓮聖人のメッセージ |
| 立正大学名誉教授 渡辺 宝陽(わたなべ ほうよう) |
| (2006年『大法輪』4月号より抜粋) |
| ◇日蓮聖人の祈り 日蓮聖人の願いを一言で表すとすれば、「希望を持って、現世を生き抜く」ということになるでしょう。しかしここで言う「現世を生きる」ということは、決して限定された「現世」ということではありません。凝縮された「今」という一瞬の時間は、無限の過去と無限の未来に連続しているのです。したがって、現在の世を生きぬくということは、無限の過去と無限の未来に連続し、それらが包含された「今本時(いまほんじ)」という絶対時間のなかにある自己を見つめ、その全容を背負って果敢に生きるということです。『如来滅後五五百歳始観心本尊抄(にょらいめつごごごひゃくさいしかんじんほんぞんしょう)』の叙述に感動します。 多くの哲人や宗教者、仏教者がそうであったように、日蓮聖人は貴顕(きけん)の栄華の社会に生きたわけではありません。太平洋に面した安房(あわ)の国(千葉県安房郡)の浜辺で成育しました。その地は、京都や比叡山からは遙か遠く、五畿七道のうち、東海道の果てにある辺鄙(へんぴ)なところと認識されていたと、聖人は語っています。だが、遙かなる太平洋を望むその地点から、日本の全体像が明らかに見えました。幼少の時からのその感覚は、日蓮聖人の生涯にわたって、忘れられることはありません。 日蓮聖人が立教開宗の宣言をしたのは三十二歳。すぐさま清澄寺から追放され、活動を開始したのが東国の首府・鎌倉の地でした。数年にわたる大地震や大彗星(だいすいせい)の出現によって、人々は大きな社会不安に襲われました。その頃、同時に隣国でもすさまじい社会変革が展開していました。すなわち、蒙古が西はトルコ、北はモスクワ、そして東は朝鮮半島という広大な版図を収め、やがてその勢いが日本に向けられていたのです。 日蓮聖人の「希望を持って、現世を生き抜く」という願いは、平穏な社会のなかで描かれたのではありません。堅固に防備された貴顕の組織のなかでの願いでもありません。揺れ動く社会のなかでの、必死に生きる祈りそのものであったのです。その祈りは自己に限定されたものではなく、人々と共に苦闘し、希望の持てる環境づくりをめざしていくなかで、追求されていったものなのです。 人類の営みの歴史は、絶えず進展しながら発展を模索してきました。自然との調和を図っているつもりでも、自然と格闘し、自然の脅威を受け止めねばなりません。安楽な人生、穏やかな社会に生きていたいという人間の願いは、そのまま欲望として私達の社会環境に跳ね返ってきます。そうした絶えず変化する現実。そのなかにあって、「生きる希望」を確かめて生きる生き方の指針は、時代が変っても、私達への大きな導きを示しています。 ◇苦を分かちあう精神 日蓮聖人が終生、大切にした教え。それは、言うまでもなく『法華経』です。日蓮聖人は『法華経』を中心に、仏教を研鑽しつづけました。膨大な仏教聖典は大きな蔵でなければ収められないところから、「大蔵経(だいぞうきょう)」と呼ばれます。諸国の国王などの崇敬によって、想像を絶する努力がその編纂に傾注されました。同時に誰でも披見できるというものでもありませんでした。鎌倉に居住した時期、日蓮聖人は次々と襲ってくる社会不安に仏教はどのように答えるのかという疑問を持ち、大蔵経を閲覧して、国の在り方は精神の在り方と関わっていることを究明しました。国というと、それだけで拒否反応を起こす方があります。その心情は理解できますが、日蓮聖人が国ということにふれるのは、人々が幸せを求めて暮らす社会組織を意味しています。おのずから国家には権力行使がつきまといますが、その権力を獲得しようという野心とはかけ離れています。 現在でもそうですが、社会体制を合理的なものにすることは、そのことだけで成り立つと思いがちです。日蓮聖人は、東洋諸国の歴史に照らし、仏典をよみくらべ、社会がよりよく成り立つためには、精神の在り方が大切だと考えました。そうして、その結論を鎌倉幕府の要人、前執権北条時頼(さきのしっけんほうじょうときより)、仏教の門に入って最明寺入道(さいみょうじにゅうどう)時頼に進献したのが『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』なのです。万巻の経典を読破し、一介の名もなき僧が、その結論を権力者に進献するという光景は、衝撃的なものといえましょう。小説でその光景に感激して出家した方もあるほどです。 『立正安国論』は、そうした根源の目を持たないと、批判の書としてのみ映ります。だが、終わりの部分にある文章を読むと、「苦を分かちあって」至高の精神を求めようという、祈りの文章に出会います。 「汝(なんじ)、早く信仰の寸心(すんしん)を改めて、速やかに実乗(じつじょう)の一善(いちぜん)に帰せよ。然(しか)れば三界(さんがい)は皆、 仏国(ぶっこく)なり。 仏国それ衰えんや。十方はことごとく宝土(ほうど)なり。宝土なんぞ壊(やぶ)れんや。国に衰微なく、土に破壊(はえ)なくんば、身はこれ安全にして心はこれ禅定(ぜんじょう)ならん」 日本の国の現状を分析し、憂えるという筋道でこの言葉を理解しようとすると、私たちにはピンとこないかも知れません。しかし、スマトラ沖大地震のとき、津波に押し流された村人が集まったのがお寺であったという報道と照らし合わせると、精神の在り方や精神の拠り所がいかに大切かが思い起こされます。「百人の世界」のイメージで連想すると、日蓮聖人の言う「国」は心を大切にして生きる姿なのです。ちなみに、奏進(そうしん)された『立正安国論』に誌された「 ◇身命を擲(なげう)つ 『法華経』勧持品(かんじほん)第十三には「我れ身命(しんみょう)を愛せず 但(た)だ無上道(むじょうどう)を惜しむ」と説かれ、『法華経』如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六には「一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず」と説かれています。 それを受けて、日蓮聖人は「身命を捨つるほどのことありてこそ」と、 仏陀の深意が明らかにされた『法華経』の願いを伝えるためには、我が身を惜しんではならないことを明らかにし、またその姿勢を門下にも語っています。法を伝える歩みのなかで、日蓮聖人はしばしば『法華経』のために身を捨てる決意を要求される場面に出会ったことは、あらためて言うまでもありません。 その精神は、各時代にわたって門下や日蓮聖人を崇敬する方々に受け継がれております。室町時代、あたかも一休禅師や本願寺の蓮如上人が活躍した時代。日蓮門流においては東の行学院日朝上人(きょうがくいんにっちょうしょうにん)、西の桂林房日隆(けいりんぼうにちりゅう)上人が出た頃、京都の一条戻(いちじょうもど)り橋で辻説法(つじぜっぽう)を展開し、牢屋につながれて焼け鍋(なべ)をかぶらされたり、身体的な刑罰を受けて、「なべかむり日親(にっしん)」と呼ばれた上人の存在は著名です。 近代に於いても、石橋湛山(たんざん)(後に第五十六代首相)は、第二次大戦後、GHQ(連合軍総司令部)の支配下にあった時代に、大蔵大臣としてGHQの示唆する経済政策を断固否定し、日本側の政策主張をつらぬいたということがあったということです。そのとき、石橋湛山は日蓮聖人の言葉を思い起こして、家人に身を賭(と)して交渉に行くことを告げたそうです。これに類した話は数えきれぬほど聞きます。それほど、日蓮聖人の「我不愛身命但惜無上道(がふあいしんみょうたんじゃくむじょうどう)」の生き方は大きな勇気を与え、また今日に於いてもそのような生き方を継承する信仰の姿勢が受け継がれていると言えます。 ただ、ここで一言加えておきたいのは、日蓮聖人はその深遠な哲学に基づいた姿勢としてこのことを語っているということです。日蓮聖人は、経典に伝えるところでは、己れの身体の皮膚を剥(は)がし、骨を筆とし、血液で真理の言葉を誌して後世に遺すという記述があることにふれ、それは精神的な指針として示されているのであって、そのまま行うことはよいことではない、と述べています。なぜなら、今は紙が用いられる時代であり、筆も墨も用意できる時代である。そのようなときに、自分の身を無理矢理に傷めても、決して真理に忠実であることにはならない、と警告しているのです。 ◇仏使の使命に生きる 「日」「蓮」はいずれも『法華経』に予言されている久遠(くおん)の菩薩の使命を明らかにする経文を原拠としています。すなわち、〔日〕とは「日月(にちげつ)の光明(こうみょう)の 能(よ)く諸の幽冥(ゆうみょう)を除くが如く 斯(こ)の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅せん」(『法華経』如来神力品(にょらいじんりきほん)第二十一の偈文)という祈りを明示する重要な語です。また、〔蓮〕とは、「久しくすでに仏道を行じて 神通智力に住せり 善く菩薩の道を学して 世間の法に染まざること 蓮華の水に在るが如し」(『法華経』従地涌出品第十五の偈)に示された祈りの語であります。いずれも、大地が震裂して涌(わ)き出た六万恒河沙(こうがしゃ)の久遠の釈尊から久遠の導きを頂いた菩薩が、未来(仏陀入滅後の将来)において『法華経』の真義を明らかにする願いを誓った言葉なのであります。 「日蓮と名乗ること、自解仏乗(じげぶつじょう)とも言っつべし」(『寂日房御書』)という言葉は、表面的に「日蓮と名乗るのは、よく仏教を理解していることを鮮明にしている」と理解するにとどまってはなりません。「日蓮と名乗ることは、真実の仏教の奥義を説きあらわす使命に生きることなのだ!」という壮絶な思いが、そこにこめられていることを認識する必要があります。 すなわち、「自解仏乗」とは「自ら仏陀の教えを理解する」という基本から、さらに「日蓮が仏教の真髄を理解するということは、とりもなおさずその教えの示す使命を生きることである」という意味として受け取られたと考えるべきでしょう。『法華経』弘通のための苦難の連続のなかに生きた背後に、このような堅い誓願があったのです。 しかもその使命感は、日蓮聖人自身だけの世界において完結するものではありません。仏法滅尽(ぶっぽうめつじん)の時代に花開くことを予言されている『法華経』の教えに生きる総ての人は、すでに仏使としての使命に生きているのだと、同信の人々を激励しています。 「人はなんのために生きるのか」ということが問われている今の社会。自己の欲望を満たすことが個人の幸せであるかのように思ってきたのが、これまで数十年の私達の生活スタイルだったようです。ふと省みると、自分は他者と共にあることの幸せに目ざめます。自分が大きないのちに生かされていること。その広大な世界のなかに生きている自分に目ざめたとき、「生きる」ことの意味が明らかになってきます。宮沢賢治(みやざわけんじ)が「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」と刻むように誌した言葉は、日蓮聖人から頂いたものです。 ◇久遠の仏陀の導きに生きる 『法華経』如来寿量品第十六の偈(げ)(「自我偈(じがげ)」)の最初には、「我れ仏(ほとけ)を得てよりこのかた 経(へ)たるところの諸(もろもろ)の劫数(こうしゅ) 無量百千万 億載阿僧祇(おくさいあそうぎ)なり」と説かれ、最後には「毎(つね)に自らこの念をなす 何を以てか衆生をして 無上道に入らしめ 仏道を成就(じょうじゅ)することを得せしめん、と」と結ばれます。その世界は、「我が此の土は安穏(あんのん)にして天人常に充満せり 園林(おんりん)諸の堂閣(どうかく) 種種の宝を以て荘厳(しょうごん)せり」と示されております。 乱れた社会に覚醒を促す衝撃を与えたイメージが連想される日蓮聖人です。法難連続のなかでの苦闘の情景が私達の胸を打ちます。実は、そうした苦闘のなかで日蓮聖人は、いつも久遠の仏陀釈尊の大きな慈悲に包まれていることに感謝しています。伊豆の国の伊東に島流しにされ、弥三郎(やさぶろう)という漁夫等に危うく命を助けられたとき、 仏陀が遣(つか)わした変化(へんげ)の人(身を変えた擁護者)に助けられたと感謝しています。つぎつぎに出会う法難のたびに仏陀の広大な世界に感謝を捧げているのです。 遺書として書きしるされ、烈々たる文章が瀑布のように展開する『開目抄(かいもくしょう)』の最後は、「日蓮が流罪(るざい)は今生(こんじょう)の小苦なればなげかしからず。後生(ごしょう)には大楽(たいらく)をうくべければ大いに悦(よろこ)ばし」という言葉で結ばれています。日本の歴史上、初めての蒙古来寇(もうこらいこう)(文永(ぶんえい)の役(えき))で日本全土の人々が不安に陥っていったとき、その翌年に『撰時抄(せんじしょう)』を執筆して、門下が沈着冷静に仏陀の教えを確かめ、行動するように誡めました。その結びの文章、「霊山浄土(りょうぜんじょうど)の教主釈尊・宝浄世界の多宝仏・十方分身の諸仏・地涌千界(じゆうせんがい)の菩薩等、梵釈・日月・四天王等、冥(みょう)に加し顕(けん)に助けたまわずば、一時一日も安穏なるべしや」には、祈りと感謝が満ちあふれています。 悠久久遠の救いのなかに、敢然として生きる姿勢は、今日の我々凡人の心に深く響きます。 |
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