比叡山の修行
   常行三昧
(じょうぎょうざんまい)
比叡山延暦寺龍城院住職 高川慈照(たかせがわ じしょう)
(2005年『大法輪』5月号より抜粋)

 
   
  −−−≪略≫−−−
常行堂と行の実際
 常行三昧は常行堂というお堂にて修されるもので、この常行堂は、現在は比叡山三塔(東塔・西塔(さいとう)・横川(よかわ))の内、西塔にのみ二内(にない)堂として、法華堂と東西に横に並び渡り廊下で結ばれて建っている。両堂とも宝形造(ほうぎょうづく)りの五間四方の朱塗りのお堂である。法華堂は普賢菩薩を本尊として法華三昧行法を修するお堂である。他方常行堂は阿弥陀仏を本尊として、この常行三昧を修するお堂なのである。
 この法は般舟(はんじゅ)三昧経より出だしたものであり、般舟とはサンスクリット語の音写で仏立(ぶつりゅう)という意味になる。明眼の人が清夜に星を観るが如くに、十方の仏を見るところから別名、仏立三昧ともいうのである。私は当初この行に入る時、この仏立という言葉に非常に大きな魅力を感じて心に響き、この行に取り組む喜びを感じたものだった。
 伝教大師の著した『顕戒論(けんかいろん)』の中に、夏・冬には常坐三昧を修し、春・秋には常行三昧を修す。他は楽欲(ぎょうよく)に従って半行半坐三昧、非行非坐三昧を修するとある。
 お堂は清浄に厳飾(ごんじき)して、可能な範囲内でお供物(くもつ)をする。お堂の四隅には、右廻りに行旋(ぎょうせん)した時、壁の正面に面した所に「南無阿弥陀仏」の名号が書かれたお軸が掛けてある。中央の本尊阿弥陀仏を取り巻く柱と柱の間には丸太を渡して縛り付けた手摺(てすり)が設けてある。お堂の扉は全部閉め切って外の光を遮(さえ)ぎる。堂内は本尊と四隅のお軸の各ローソクの明りのみである。
 身体は常に沐浴(もくよく)して清める。特に不浄への出入りの時は沐浴を要す。衣服も常に洗い清めた物を着す。法衣は直綴(じきとつ)に如法衣(にょほうえ)である。腹には晒(さらし)を巻いて腹部を暖め、また内臓の下垂を防ぐ。これで疲労が緩和されるのである。足は脚絆(きゃはん)を着け足袋を履(は)く。これも足の冷えとむくみを防ぎ足の疲れを和らげるのである。それに藁草履(わらぞうり)を履いて行旋する。
 九十日間は世俗の想慾を念ずることなく、たとえ筋骨が朽ちようとも臥出しないと決心する。この間常行三昧を休息することなく行じて、三昧を得るという大誓願を発(おこ)して入堂するのである。しかし、これも当初は、そう時間を要することなくその発心(ほっしん)は見事に打ち砕かれる。
 食事は岡持ち箱の中に入れられてお堂に届けられる。堂内にて弥陀と共に頂く食事は待ち遠しく一層有難ざが沸くものである。唯一、ゆっくりと腰を下し一噛み一噛み味わいながら時間を掛けて頂く。行中の三度の食事は本当に有難いものである。
 九十日間常に一歩一歩右廻りに行旋し休息することなく、心には阿弥陀仏を念じて、口に常に南無阿弥陀仏と唱えて歩を進めて行く。阿弥陀仏の名を唱えるのは、,即ち十方の仏を唱えるに功徳が等しいが故に、ただ専ら弥陀をもって法門の主となすと説かれている。
 心に仏を念ずるとは、極楽浄土の教主阿弥陀仏が宝地.・宝池・宝樹・宝堂・衆の菩薩の中央に坐して経を説きたまう様(さま)を念じる。
 また、阿弥陀仏の三十二相を念じていく。足下の千輻輪(せんぷくりん)の相より一一に諸相を念じ、乃至(ないし)、無見頂相に至る。また無見頂相より順縁して千輻輪相に至るまでを念じていく。この三十二相の一一を念じながら南無阿弥陀仏と唱えて歩くのであるが、当初はこの三十二相の一一を短冊に書いて堂内の壁に貼り付け、その一つ一つを見て阿弥陀仏のその相を観想して念仏を唱えて行旋する。一匝=いっそう(一巡り)して、ちょうど三十二相が一巡するようにする。
 しかし、この観想の方法で常行するのは、かなり心に煩(わずら)わしさが残る。また、三十二相を観想することに依って、阿弥陀仏の慈悲なる尊容のイメージに差が出来てしまい心に馴染まない。私はこの方法での観想は一ヶ月も経たない内に中止をした。

常行三昧の初日
常行三昧の入行は四月中旬頃で、朝九時には入堂をする。先ず沐浴をして堂内に入り扉を閉める。ローソク、線香を付け本尊阿弥陀仏の前にて五体投地の三礼をし、般若心経一巻を上げて、南無阿弥陀仏を三度唱える。そして起立合掌して外陣に出て、阿弥陀仏に向かって一唱一礼してから左に向き歩き始める。常行三昧が始まるのである。
 合掌のまま南無阿弥陀仏の名号を少し抑揚を付けてゆっくりと唱えながら歩く。三十二相の最初の一番目から観想し念仏を唱え歩を進める。この繰り返しの連続である。四隅には南無阿弥陀仏のお軸が掛っている。薄暗い中、ローソクの明りに浮び上って見えるお軸の前で立ち止まり念仏を唱え一礼する。そして右向きになり次の隅のお軸に向かって進んで行く。
 堂内には時計は持ち込まないが、飯食=ぼんじき(昼食)までの三時間が何と長いことか、第一日目はいつもこうである。唱えても唱えても歩いても歩いても飯食の鐘の合図が中々鳴らない。鳴った時には全身の力が抜け精も根も尽き果てる。最初の一日目は一日が途轍(とてつ)もなく長く感じる。体が馴れていないせいもあろうが第一日目でこの様であることの驚きと不安が交差する。早くもこの苦痛からこの場を逃れたい心が生じる。
 故に食事は毎回殊更に時間を掛けて取る。唯一、心置きなくゆっくりと体を休める時間なのである。充分に足腰を伸して、擦ったり叩いたりして痛みや凝(こ)りを取る。その内に少しは体力も気力も蘇って来るというものである。
 一日の中、特に非食=ひじき(正午以後の食事)が終り、朝の夜明けまでの時間は、まるで時が止ったようであり、途方も無く長く感じる。山中の真夜中は、人気も無く鳥も動物も哺き声は無くなる。静寂の中、時たま風で木のそよぐ音がするのみ。次第に空気も冷気を帯びて来ると、この行に入ったことすら悔いてしまう。三十二相の観想や弥陀の名を唱えることなどほど遠い姿である。
 足、腰は重く痛い、喉は次第に嗄(か)れて来る。心は朦朧(もうろう)として散漫、いつの間にか寝ながら歩いている。夢遊病者の如くフラフラ歩いているのであろう。柱や壁にドーンと体をぶつけて驚き目を覚すこと、幾度となくしている。また、いつしか手摺りに体をもたれて寝てしまうと足の力が抜けて下に崩れ落ちる。いつの場合でも不覚にも休んでしまった後の目覚めは、決して爽やかなものではない。ただただ腑甲斐無(ふがいな)さが残るのみである。

死の恐怖と仏の存在
二、三日もすると声はまるで出なくなる。常行三昧で念仏の声が出ないほど、情け無いことはない。まるで行に力が入らないのである。声は大きな力を持っていることを知らされる。腰は重く痛い、足はむくんで来て足首に激痛が走る。藁草履が針山の如く足の裏を刺し履いて居れなくなる。足の余りの痛さに四つん這(ば)いになって歩くこともある。次第に心は荒(すさ)み自己嫌悪感と仏法に対する懐疑心が生れて来る。
 こういう時に心に魔が生じるのである。最初の常行三昧を修した時のことであるが、一ヶ月も経たない真夜中の頃、やはり心は乱れて邪念に満ちたまま念仏を唱えてお軸の前に立った時、目の前に人の生首が現われてゾーッと血の気が引いた瞬間、堂内は漆黒(しっこく)の暗闇となり、大地の中に大きな力で私が引き摺り込まれて行く死の恐怖心を覚えた。
 そこで全身に力を込めてこの場から抜け出して阿弥陀仏の前に立ち一心に念仏を唱えて救いを求めた。すると堂内は元の明るさに戻った。阿弥陀仏に救って頂いたのである。この時、僧となって初めて仏の存在を実感したものだった。
 一ヶ月も経って来る頃には声も次第に良く出るようになる。その声は以前とは違い非常に澄んだ伸びのある声になっている。自分ながら聞き惚(ほ)れるほどである。その声は次第によく響き、どこまでも行き届いて行くように感ぜられる。
 夜が明け初める頃、小鳥達がお堂の周りで澄んだ声で啼き始める。私もそれに合せて念仏を唱えていると不思議な気持ちとなる。まるで小鳥と会話しているようなのである。次第に、三十二相を一一念じて唱えることが煩わしくなり止める、ただただ阿弥陀仏の名号を唱えることの心地好さを実感するのである。心も軽い。仏を見たいと切実に願うことも有ったが、そう易々と出て頂けないことは、以前に行じた好相行(こうそうぎょう)で体験済みである。
 雑念もなく心が澄んで来ると、時として、これも魔の一つであろうが、美しい花や光を見ることがある。ある時、阿弥陀仏の前を歩いていた時、目の前の板壁の向こうに可愛い少女が、花束を持って立っており、私の前に来て、その花束を渡してくれた。あまりの美しさに、その花を抱いて歩いた,ことがあった。しかし、現実に自然の中で小鳥の啼き声、風の音、雨の音など澄んだ美しい音として耳に入る。また、お堂の外の草木の緑や青、花の色などが光り輝いて目の中に飛び込んで来る。
 この常行三昧は、十二年籠山(ろうざん)中に数度行じているが、目の前に仏が立ちたまうことは遂に一度も無かった。最後に『摩訶止観』の中、常行三昧に説示されている「色身(しきしん)に貧著(とんじゃく)せず、法身にもまた著(じゃく)せず、よく一切法は永く寂なること虚空のごとしと知る」の偈(げ)を紹介して終えることにする。