いま、空海から学ぶもの
種智院大学学長 頼富 本宏(よりとみ もとひろ)
(2003年『大法輪』6月号より抜粋)

 
 
◆歴史の偶然と必然
 歴史、とくに人間の築き上げた仏教の歴史を調べていると、場所がまったく離れており、しかも一見、直接の影響関係が認められないにもかかわらず、ほぼ同じ時代に類似した歴史上の重要な出来事が生じることがある。
 たとえば、有名な例として九世紀の中頃に、中国とチベットで同時期に勃発した破仏、つまり仏教弾圧をあげることができる。近世と近代の仏教は、明治維新直後の廃仏毀釈のあとは、第二次大戦(太平洋戦争)の敗戦で一部の大寺院が農地改革などの実害にあったが、必ずしも仏教全般にわたるものではなかった。むしろ近年種々な面で進行している宗教離れをもっと憂慮すべきであろうが、まだ強く実感されていないようだ。
 それはともかく、九世紀の唐の時代、武宗皇帝の世に断行された会昌(かいしょう)の法難(八四二〜八四五)と、七世紀頃から栄えてきたチベットの国家的仏教を一たび中断させた世にいうダルマ王の破仏(八四三〜八四六)は、まさに並行・重複する年代に発生した。
 そして日本では、ここで取り上げる空海(七七四〜八三五)を世に出したともいうべき嵯峨天皇(当時は上皇)が五十七歳の充実した生涯を終えたのが、凶運の年、承和九年(八四二)の七月十五日。時間を置かず、後立てを失った恒貞親王は藤原良房等の陰謀に敗れて、皇太子を廃され、ブレーンであった空海の友人の橘逸勢(たちばなのはやなり)・伴健岑(とものこわみね)らは捕えられ、とくに非業の死を遂げた逸勢の悲話は中世の物語の題材として取り上げられた。世にいう承和の変であり、ここに藤原氏の権力体制が整うことになる。
 取り上げた三つの出来事のうち最後の承和の変は、直接仏教と関わる要素が少ないが、それでも恒貞親王はのちに出家して恒寂法親王(ごうじゃくほっしんのう)となり、祖父の嵯峨天皇の離宮であった嵯峨殿を寺院とした大覚寺の第一世となった。
 以上のように、八四二年頃に中国・チベット、そして日本で発生した大事件には、それぞれ複雑な時代背景と政治構造を有しており、深く掘り下げて考察すると、単なる「偶然」にとどまらない「必然」の構造と法則を読み解くことも不可能ではないが、それは私の歴史趣味の問題として別の機会を期することとしたい。
 むしろ今回取り上げるのは、今年(二〇〇三)から来年にかけてが、弘法大師空海が命懸けで中国へ渡ってからちょうど一千二百年にあたることだ。

◆空海入唐一千二百年
 延暦二十三年(八〇四)六月、九州の肥前田浦(現在の長崎県北部)を出帆した遣唐使節は、当時世界でも最先端の文明を誇っていた唐朝の都・長安(現在の西安市)を目指した。来年の二〇〇四年が丸一千二百年になるという好機会を利用し、今年から来年にかけて、日本(とくに真言宗)と中国とが共同する記念法要、集団参拝、合同学会など様々の計画が準備されている。
 なかでも今年四月から来年の十一月にかけて、京都・名古屋・東京・和歌山の国立・公立博物館で大々的に開催される特別展「空海と高野山」は、空海が真言密教の立宗・公布を決意した弘仁六年(八一五)以後に最初の拠点寺院として嵯峨天皇に賜わらんことを願い出た高野山に伝わる多数の国宝・重文級の仏教文化財を展観するもので、是非拝観されることをお勧めしたい。
 高野山が「山の正倉院」とも称されるように、空海が唐から伝えたものを始め、その教えである真言密教の真髄をビジュアルに表現した曼荼羅、さらにはこの世の浄土として、また一種のアジール(避難所)として人びとの熱い信仰に支えられてきた仏教美術の名品は、今を生きる私たちにも、「聖なるものの崇高さ」と、それとの御縁をいただけることの心の安らぎを与えてくれる。
 私も幸いに、思想と歴史という別の立場から空海の生涯と意義について専著を出版したり、かつ準備中ということもあって、両視点の概要をまとめたNHK人間講座「空海――平安のマルチ文化人」(全八回)を現在続けている(毎週水曜日の夜と昼)。
 そこで、一千二百年前の人間空海の行動と思想をベースに置きながら、その後の弘法大師としての法身化・宗教化された存在をも視野に入れて、「いま、空海から学ぶもの」をいくつか抽出してみたい。

◆入唐行動から学ぶもの
 空海の評価は、生誕、入定(遠忌)、さらには四国遍路など様々のきっかけからなされているが、今年(来年も含む)が一千二百年後の記念にあたるので、まず空海の中国入唐が私たちに語るものを復元してみよう。
 私度僧(正式な得度と受戒を受けない任意の出家)として大和や紀州、さらには四国の山林や海浜で修行に励んでいた空海が、三十一歳にもなって急に南都・東大寺の戒壇院で得度したのは、遣唐使に同行する留学僧として中国に渡るためであった。前年の初夏に出港した船団は、一部が瀬戸内海で難破し、体制建て直しのため、延暦二十三年に再出発したのが、結果的に空海の得度と入唐に幸いしたといえる。
 空海入唐の目的については、古来諸説があるが、紙数の都合で結論だけ述べれば、私は求聞持法という神秘体験に関心を抱いた空海は、『大日経』という密教経典を通して、中国の長安の都でインド色の強い「密教的な仏教」が流行しているという宗教情報を得ていたと考えている。もっとも、入唐前の空海の文章は極端に少なく、帰国後の『請来目録』まで「密教」を限定する言葉は見られないが、山林修行から正式得度と入唐、福州から長安への入京、さらには最終目的となる青龍寺の恵果阿闍梨からの密教受法に先立ってインド僧の般若三蔵から梵語・梵字、ならびにインドの宗教事情を学ぶなどの一連のプロセスから考えると、空海の聖なるもの、威力あるものを求める宗教志向は、広範で、精度の高い情報を得るための先天的能力と、それを実現するための果敢な実行力と表裏一体の関係にあった。
 かつて、日本仏教研究の大家・辻善之助氏が最澄との交遊における空海の冷静な態度を非難したり、独特の文化論でファンを魅了した司馬遼太郎氏が空海の先見性と計画性をむしろ作為と狡猾と見なしたが、生き方の価値を問う宗教の世界でも、できるだけ客観的で、正確な情報を得て、その教えと実践を理解するとともに、そこに至るための段階を設定することは必要である。
 深くて味わいのある信仰的言辞を期待する人には納得しがたいかも知れないが、私は空海の入唐行動から、宗教情報の収集と分析判断、ならびに自己においてそれを実現するための行動計画が読み取られる気がしてならない。それがあってこそ、「神仏の加護」も生きてくるはずである。

◆空海の教えと生涯が示すもの
 一般にある宗教や宗派の開創者である高僧から、現代に生きる私たちが何らかのメッセージを望む場合、熱烈な信心、無執着な心など欲望渦巻く現実の世界とは異質な要素を求めるのが常であるが、空海の場合、密教が本質的に持つ有相(見える世界)重視の傾向が強く、かつマンダラ的多元主義、さらに予定調和的志向性もあって、現実の世界に展開する現象事実を正しく知ることを否定しなかった。
 もちろん、そこには『般若心経』の前半に説かれる「色即是空」的な執われの否定も前提としてあったが、単なる量的情報知にとどまらず、その上に立って自らと世界の一体化を意図する創造知をさらに求めていた。空海が既成の情報や思想を踏まえたあとで、改めて新しい考え方や教えを生み出す天才であったことは広く知られている。
 さて、今回の人間講座「空海」の中では、一応歴史的事実を重視した上で、平安前期という時代の中で真言密教を確立した空海の姿を復元するだけではなく、その思想と行動から、現代の杜会にも何らかのヒントになるキーワードとして「情報」と「癒し」という概念を仮りに設定した。
 このうち、情報では、本論でとくに強調した情報収集にとどまらず、システム管理(ネットワーク)に至るまで空海の行動の中にその要素を見出すことができる。情報の手段としては、当時の基本であった文字情報の他に、密教の特質である体験情報や人間情報もすべて包摂している。空海の得意とした漢語・梵語の語学情報による国際性、または晩年の大著『秘密曼荼羅十住心論』に見られる諸思想の曼荼羅的総合性も、広義の情報性の中で評価することができよう。
 しかし、私は人間空海から学ぶべき、もう一つの重要な生き方があると思う。少し難しくいえば、聖なるもの(仏)の内在と超越の自覚である。くだいていえば、この肉身を持った私でも仏と異ならない本性を持つという可能性の確信と、その可能性を信じて大いなる生命、それを空間的に敷衍(ふえん)した大自然の中に生かされているという安心である。
 前者は、帰朝直後の『請来目録』の中に恵果・不空などの先師の言葉として断片的に登場していたが、弘仁十年頃には『即身成仏義』という思想書の中に体系化されている。仏と私たちの質的差違の無化(浄化)は、密教の行法・瞑想法に顕著に認められるが、空海は若き日々に精進した山林修行の宗教的エネルギーも貯えており、密教の大成を意図した早い時点で南紀の深山・高野山を獲得したのは、小さな自身の存在を含み込んだ大生命の中での心静かな禅定の聖地を求めた証しであったのだろう。
 私は、空海の志向したこのような異次元性・生命性を、最近いささか濫用されている、「癒し」という言葉で代弁した。ただし、狭義に用いられる「治癒」「治療」とは少し異なる積極的意味が強いため、「癒し」と呼ぶには抵抗のある方もいるかも知れない。
 ともあれ、人間空海に魅力があるのは、単なる機械的、量的な情報人にとどまるのではなく、まったく違った軸である聖なるものへの感性を具備していることだ。やや飛躍した対比だが、同じ空海の創設した密教寺院でありながら、都の情報基地的役割を持つ東寺と、身体と心の安らぎを与えてくれる高野山では、環境と機能が大きく相違している。新しい仏教の開祖としてライバル関係にあった最澄のように一色に自らを塗り固める人もインパクトが強いが、相い異なる軸をその内に危うく調和させる空海に、なぜか親近感を覚えてならない。