| 仏教者のための『論語』入門 |
| 茨城・菩提禅堂主 形山 睡峰(かたやますいほう) |
| (2004年『大法輪』6月号より抜粋) |
| 古来、仏教者と儒者(『論語』の教えを中心に道を学ぶ者たち)は仲が悪い。互いに批判しあってきたのである。どちらも、人間の真実の生き方を問うてきた道ではある。それなのに、それぞれ、相手が事物本質を見誤っていると言い合ってきた。更に道教(老子の教えを中心に学ぶ道)の学者も加わって、儒・仏・道の三者たちはいつも、やかましく自らの正当性を主張し合ってきた。 まあ、人間がいるところ常に免れない問題ではある。仏教者は仏教者で、宗派の違いを言い合い、互いに相手を否としては、自らの正しさを証明しようとしているのだから。 もし真実の仏様なら、 「お前は正しい教えを信仰していないから不幸になる。こちらの宗派に転向せよ」 などというような、心の狭いことを言われるのだろうか。 どんな教えから入った者でも、その善し悪しを選ばず、すべて幸せにしてくださるのが仏様の大心ではないかと思う。 「宗派争いは、釈迦の恥」と言われた方があった。まことにその通りである。 『論語』も「仏教」も、紀元前の時代に語られた古い教えである。それが、歴史の長い時間を経て、なお今日まで残されてきたのには、理由があると思う。解釈の違いを巡って山ほど人間の手垢はついてきただろうが、どの教えにも、その奥に、時代を超えた普遍的な真実が述べられていたからに違いない。 普遍とは、いつでも、どこでも、だれにでも納得される事実のことである。 かつて仏教学者として知られた中村元先生が、ある雑誌の対談で語っておられた。 「世界中の宗教の代表者に、『あなた方の宗教の、根本の教義は何ですか』と訊ねて回ったら、どの宗教の方も、『根本のところは言えません』と答えられた。ならば、その言えないところでまとまって行くことは出来ないものだろうか」と。 実に仏教者なら、少なくともこのように考えてゆくべきものだと思う。 昔、ある人が良寛禅師(1758〜1831)に聞いた。 「禅師は、古人の中ではだれから最も多く学ばれましたか」 禅師は、 「だれを学んだということはない。みんなが学び残したところを学ぼうと思っています」 と答えたところ、更に西行法師か一休和尚かなどとしつこく聞いてくる。 仕方なく良寛はふところから『論語』を出して、 「これから学んだ」 と言った。 良寛は少年のころから儒教に親しみ、特に『論語』は左右において、生涯離さなかったという。 明治の禅匠・今北洪川(いまきたこうせん)禅師(1816〜1892)は、若いときから四書五経(『論語』『孟子』などの儒教の教本)を学び、一つでも分からないことがあるのは恥だと思って、懸命に勉強したという。ところが次第に、 「たとえ万巻の書物を暗記しても、知識だけで実体が伴わなければ、ただ古人の遺したカスを弄(もてあそ)んでいるに過ぎない」 と思うようになる。 「どのようにしたら、真の学問に入って行けるのだろうか」 あれこれ迷っている時、たまたま禅の書物を見た。『禅門宝訓』という本を開いてみたら、こんな話が書いてある。 「昔、宋の達観という者が、初めて石門蘊聡(せきもんうんそう)和尚に会ったとき、自分の知識をひけらかして大いに喋りまくった。すると和尚が言った。『お前の話は書物で覚えたことばかりだ。心の奥深くにある本来の精妙な働きについては、まだ何も、見てない。もし真実悟りに至る修行して、悟るなら、言句に引っかかることもなくなって、獅子が吼(ほ)えれば百獣が震え上がるような力を得るだろう。そんな境地から今まで学んできたことを振り返ったなら、十を聞いて万を知る以上のものがあるぞ』と」 この話を読んで発憤した洪川禅師は、直ちに書物を投げだし、禅の門を叩いたのだった。幸いに京都・相国寺の大拙承演(だいせつじょうえん)禅師に師事することができて、出家する。 因縁は熟していたらしく、二年の激しい修行の後に、ある日すっかり自己を忘れる境地に入って、ふと意識を取り戻したとき、初めて大道を悟ることができたという。 後に、禅師の著書『禅海一瀾(ぜんかいいちらん)』のなかで、次のように述べている。 「そもそも道は一つしかないのです。神道・儒教・仏教・老荘といっても、ただこの一つの道を言っているに過ぎません。ちょうど太陽が普(あまね)く世界を照らして、その光が及ばないところがないのと同じです。学者たちは学習した努力を誇り、己が得た知識や見方に捉われて、太陽が一つしかないのを見ようとはしません。ある者は儒教的見方にこだわり、ある者は仏教的な見方に執着して、かたくなな我見を起こしているのです」 すぐれた人たちが命がけで求め、悟ってきた道である。得たところが違うはずはない。皆、人間の真の在り方を知りたいと願ってきただけなのだ。 富士山に、山梨側から登ろうと、静岡側から登ろうと、結局は頂上に着けば同じ場所に立つ。それだけである。 だから、仏教者が『論語』を読むときは、孔子が釈迦や達磨(だるま)と同じ悟りのなかで語られていると見るのがよい。良寛さんが大事そうにふところから『論語』を出されたのも、そんな読み方をしていたからだと思う。本当に禅を理解している者なら、孔子が単に礼儀や道徳を説いただけの者ではないことを、すぐに悟るだろう。 孔子の偉大なところは、どんなに現実が困難な状況にあっても(当時は至る所で戦争ばかりしていた時代なの だ)、決して諦めず、人が真心を尽くしてゆくことの大切さを、死ぬまで説いて止まなかったことである。 私たち仏教者が『論語』を読むときは、まずその真心(『論語』ではそれを〈仁(じん)〉と言った)のところを学ぶのである。礼儀や道徳に偏(かたよ)ったように見えるのは、後の解釈に影響されたからだ。本来、孔子は子供のように素朴で、あたたかい心情の持ち主だった。 私たちは、生き死にの意味をハッキリさせたくて仕方ない者である。なぜ生きて、なぜ死なねばならぬのか。いったい私とは何か。何をすれば、真実充たされて生きられるのか。実はだれもが、そんな意味を心底納得したいと思って生きている。その方法がよく分からないから、良いこと悪いこと、目前にあるさまざまな物や欲望に引きずられて、人間ができることなら、それこそ何でもやってきた。自分に充実を感じたいためなら、どんな殺戮(さつりく)をも辞さないことすら繰り返してきたのである。 しかし洪川禅師のように、己(おの)が心の在り様を明らかにする以外に、もう己(おのれ)を確かにする道はないと気づいた者は、外に向かって探すことを止めた。直接、自心に問うことを求めたのである。 孔子は堯(ぎょう)・舜(しゅん)につらなる聖人の生き方のなかに求めて、「仁」を見出した。仏者は釈尊や祖師方の教えの中に求めて、「仏心」を発見した。 言葉は違うが、得たところは同じだったと思う。ただ、表現するときには、いつでもその時代の知識や思想で語らざるを得ない。道が違うように見えるのは、そのためである。 いや、そんな風に言えば、儒学者たちの中には大いに反論される方もあるだろう。だが、私たちが禅の体験から『論語』を読んでみると、少しも違和感なく読めるところがある。要は、普遍的な真心に出会ってゆけばよいのだと思うが、どうだろうか。 例えば、第一巻の学而(がくじ)篇の有名な句。 「子曰(しいわ)く。学んで時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)有りて遠方より来る、また楽しからずや。人知らずしてチ(うら)まず、また君子ならずや」 (孔先生が言われた。心の本性に尋ね入って見い出した真心を、朝に晩に確認しながら暮らしているのは、何と喜ばしいことか。同じ道場で修行した仲間が遠方より訪ね来て、終日その喜びについて話し合う。こんな楽しいことも外にない。しかし、道を悟る人は希(まれ)で、私も世間に知られないままでいる。だが、そのことを悔やんだことは少しもない。道を楽しむことで足(た)りているからだ。こんな風なら、これまた立派な生き方ではないか) また、第二巻の八 「祭ること在(いま)すが如くし、神を祭ること神在(いま)すが如くす。子の曰く。吾祭りに与(あずか)らざれば、祭らざるが如し」 (孔先生が言われた。『ご先祖をお祀りするときは、ご先祖がそこにおられるように思ってお祀りする。神様を お祀りするときは、神様がそこにいらっしゃるように思ってお祀りする』という言葉があるが、その通りだね。私はご先祖や神様をお祀りするときは、ご先祖や神様と一体になって、無心に行じているのだよ。少しでも心に雑念が浮かんだりすると、真心こめてお祀りした気がしないからね) この二句の訳は、私の勝手な解釈である。儒学者の読み方とはかなり異なる。特に、二番目の句は、どの註釈書にもない訳である。 従来、大方の解釈では、孔子が「私は何か他の用事があって祭りに参加できないことがあると、お祀りしなかったような気がする」と言われたとする。しかし、毎日仏前で読経していると、実感としてこんな風に訳したくなってしまうのだ。読経中、一念も入らずにお経に成りきって読むときは、それこそ「神在すが如し」の感があるからだ。 第六巻の先進篇。 孔子に志を訪ねられた弟子らが、それぞれに抱負を述べたが、曹点(そうてん)はこんな風に答えた。 「暮春には春服既に成り、冠者五六人・童子六七人を得て、沂(き)に浴し舞 (「私の望みは、暮春に春の服も仕立て上がったころ、青年たち五、六人に少年ら六、七人と共になって、水遊びをしたり、雨乞いの舞台で風に吹かれたりして、皆で歌を歌いながら家に帰ってくる、というような暮らしがしたいのです」。すると孔先生が嘆息して言われた。「私は曹点に賛成だな」) すばらしい境地である。 「わが禅門にもここまで至る者は少ない。この境涯は孔門の教えの中でも並はずれて高い境地である」 と、洪川禅師も賛嘆された。 人間の真心の発露に洋の東西はないから、無心に読んでゆけば、どこにでも宝を見出すのである。 ヨーロッパの知識人にとって、教養の元になっている言葉はラテン語である。東洋の者なら、それはやはり漢語なのだ。そうして、私たちが万葉以来の古典や歴史を学んで、日本固有の文化を学ぼうとすれば、漢文が読めねば話にならないのである。大半の日本人が自国の古典をサッパリ読めなくなったのは、戦後教育の大いなる誤りだったと思うが、『論語』の漢文は、覚えやすい。まず『論語』から入って、漢文が白文で読めるぐらいに勉強してもらいたい。さすれば、漢文の中に、私たちの人間の問題を解く鍵が、すべて備わっていたことを発見するだろうから。 |
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