写経のこころ
奈良・薬師寺管主 安田暎胤(やすだ えいいん)
(2005年『大法輪』6月号より抜粋)

 
   
  鯱に学んだこと
 人間は万物の霊長といわれますが、いろいろな欲望をもっています。大きく分けて三つあるようです。
 一つ目は、生きていくために絶対に必要な食欲・睡眠欲などの生理的欲望です。これは他の生物にもありますが、満たされれば解消します。しかし生きている限り周期的に起きてきます。
 二つ目は、他人との関係における愛情の欲望・所属の欲望・承認の欲望などで自分の存在を認めてもらいたいという社会的欲望です。これも猿などの高等動物にみられるものです。
 三つ目は、生き甲斐を求め、より望ましい自己でありたいとする知的な欲望、あるいは創造的な自己実現をしたいとする人格的欲望です。宗教心もその一つです。この欲望
は、使命感に燃えれば個人の利益を無視し、自己の生命を犠牲にすることさえもあります。これこそが万物の霊長たる人間としての特質かと思っていました。
 ところが人間は、霊長の名が恥ずかしいような事件を犯すこともあります。すなわち貪瞋痴(とんじんち)の三毒の根本煩悩による、殺生・偸盗・邪淫・妄語の行いです。これらは情報過多のせいかも知れませんが、近年は多発しているように思います。家族の殺し合いや子供の誘拐殺人、空き巣泥棒や押し入り強盗、少女や婦女への猥褻(わいせつ)行為、恐喝や虚偽の言動など日常茶飯事です。犯罪者が多過ぎて、刑務所では定員を超えて収容しているようです。
 こうした事件が多い人間社会の中で、他の動物で感動的な事がありました。過日オホーツク海で、十数頭の鯱(しゃち)が流氷に挟まれ死亡しました。鯱は優れた探知能力があるのに、なぜ流氷の襲来を避けられなかったのかという疑問が起きました。
 調査の結果、鯱は流氷の接近に気付き、身の危険を感じ一時は避難しようとしました。しかし一匹の鯱の子が海岸にいるのを知り、すべての鯱が向きを変えたのです。その直後に流氷が猛スピードで押し寄せて来たため、逃げられなくなってしまったようです。悲しい結果になりましたが命懸けの救出行動です。子供のために命を犠牲にした鯱に、現代日本人は学ばねばなりません。私は鯱から他の生命の犠牲になることが、人間だけの特質でないことを教えられました。
今こそ心の豊かさを
 今年は戦後六〇年の節目の年です。その間を振り返りますと、いろいろな面が大きく変貌しました。最たるものは物質文明の進歩と豊かさです。物質の豊かさは有り難いことですが、それに対して精神の豊かさが遅れているのです。その結果様々な事件が起きているように思われます。「衣食足って礼節を知る」という教えにしたがえば、今日は歴史上で最も礼節を弁(わきま)えた人間の多い時代でなければならないはずです。しかし現実は必ずしもそうでないように思います。
 昭和四五年の大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」でした。その頃から今日の世相を予測した憂いがあったのです。文明は進歩しましたが、心の豊かさや調和が追いつけてないのです。たとえば便利な生活を追い求めますと、子育てまでも便利にしたくなり、思うように育てられないとすぐ腹が立ち虐待し、殺してしまうことになるようです。
 育児は親の本能ですが、育児方法が分からず育児書を読みます。その育児書も聞き及ぶところ、子供の身を考えず親の勝手な都合の為に書かれているそうです。子供の泣き声がやかましければ、耳にイヤホンを入れてウォークマンを聞いておれば良いという類(たぐ)いです。
 子供のために犠牲になりたくない。それよりも自分達が楽しい生活をしたい。結婚をしても子供は要らない。ある新聞によれば、未婚の七三パーセントは独身でいても寂しくなく、人生を満喫しているというのです。
 今の自分の生命は、数百万年も営々と継承されてきた無数の先祖のおかげです。継承された命はまた次の命に継承していくのが一番の義務だと思うのです。それを自分の都合で継承しないのは、エゴであり無責任ではないでしょうか。物質文明の進歩でエゴの度合いが過剰になったように思います。
 また逆に子供を若殿様か、お姫様のごとく溺愛している親も多いのです。溺愛すると子供は大事にされて当たり前と思い、些細(ささい)な辛さにも耐えらなくなるのです。  戦後の日本国憲法は、平和主義、自由の確保=基本的人権の尊重、国民主権などが骨子(こっし)になっています。そこで戦争を放棄し、経済を中心に懸命に働きました。その結果、経済大国になり、その恩恵を多分に蒙っています。また個人の権利と自由が大きく認められ、戦前に比べ自由な発言や行動ができるようになりました。
 それらは幸せなことですが、自分の権利を主張するあまり、他人の権利を尊重する心が希薄になったのではないでしょうか。
 また自由が過ぎて他人の迷惑を考えず、どんなコースを歩いても勝手だ。働きたくなければ働かなくて良い。結婚しても嫌になったら離婚すれば良い。子供を産まなくたって良い。産んでも育てなくたって良い。というように勝手な行動が目立つようになったのではないでしょうか。自由には抑制力が必要で、自動車もアクセルとブレーキがあってこそ安心して乗れます。自由だけではブレーキの無い車に乗っているようなものです。
 戦後せっかく与えられた権利や自由を大事にしたいものです。今の日本がこれでよいのかを国民一人一人が猛省し、万物の霊長としての心の豊かさを追い求めることに努めなければと思うのです。
 三月から始まった愛知万博は「愛・地球博」といい、テーマは「自然の叡智」です。これからの文明社会には地球に感謝し、叡智をもって地球環境を模索しようとするものです。そのためにも人間の心の豊かさが必要です。人間が地球の悪玉の癌細胞になってはいけないのです。
 その心の豊かさとは、慈愛の心、感謝の心、謙虚な心、敬いの心、和らぎの心などかと思います。どれだけそれらの心をもって日日の生活をしているかです。仏教では自分の行動を見つめるのに坐禅、瞑想、写経、念仏などがあります。あるいは宇宙規模で大自然を眺め、悠久の時間と無限の空間に、生かされて生きていることを知るのも良いでしょう。
 写経は本来、仏教伝道の一方法でしたが、印刷技術の進歩と共にその使命が薄れてきました。教えを理解するだけならば、印刷されたものでもよいのですが、経典を書写することは、教えに対する深い親しみ、味わい、なじみなどが得られます。
 経典は釈尊の教えであり、仏教徒にとって聖なるものです。人間は聖なるものへの憧れや追求欲があります。したがって経典を読誦し、書写し、解説することは聖なる仏と一体になることです。どんな上手な書家の墨蹟でも、展覧会に並ぶ書は鑑賞するだけで礼拝されることはありません。その点どんなに拙(つたな)い字であっても、お写経は拝まれる対象に変わり粗末に出来ません。そこがお写経の力であり功徳ではないかと思います。
 最近は文明機器の発達で原稿などは書くより、パソコンのキーボードを打つことが多くなりました。直筆とパソコンとでは脳の働きが違うようです。また文書や手紙を受け取る場合も、直筆と印刷文字とでは違います。
薬師寺と写経
 私の師匠の故橋本凝胤(ぎょういん)師は、戦前から少人数の会で法話と写経を続けていました。写経の目的は心のやすらぎを得ることや、先祖供養などであったと思います。
 昭和四二年、故高田好胤師が管主に晋山(しんざん)し、金堂(こんどう)の復興を発願しました。しかし薬師寺には大きな末寺や特定の檀家組織がありません。そこで浄財を勧進(かんじん)するための方法として『般若心経』のお写経を始めました。一巻の納経に千円の永代供養料をいただき、それが百万巻できれば金堂が復興出来ると考えたのです。
 薬師寺の創建者は「壬申の乱」(六七二)で勝利を得た天武(てんむ)天皇です。即位されてすぐ多くの書き手を集めて『一切経』を書写せしめられました。おそらく多くの犠牲者の冥福を祈るためであったと思われます。その天皇が薬師寺を建立されたのですから、薬師寺とお写経は深いご縁があると思っています。
 当初は「お写経ぐらいで伽藍が復興できるか」「百万という数字は膨大過ぎて太平洋を裸で横断するようなものだ」などと心配される向きもありました。しかし今日では七百三十万巻を超えての勧進となりました。その結果、金堂・西塔(さいとう)・中門・回廊(かいろう)・大講堂・玄奘三蔵院(げんじょうさんじょういん)などの建物が建立できました。これがさらに一千万巻に達すれば七堂伽藍が完成します。
 これほど多くの勧進が出来たのは、お写経された方々が心の安らぎを感じられたからでしょう。お写経には個人の幸せと世界の平和など、様々な祈りや願いが書かれています。そうした人々の祈りや願いを薬師如来にお取次ぎをさせていただいています。納められたお写経は薬師寺の宝物として、各堂塔に棚を作り半永久的に奉安します。
 不特定多数の人々の、お写経という浄業(じょうごう)によって復興された堂塔は、単なる建物でなくお経の塊であり、日本人のまごころの結晶です。したがって私は毎朝の堂参の時や、境内を歩く時に、仏像と同様に堂塔をも「南無金堂如来・南無東塔大菩薩・南無西塔大菩薩」という気持ちで合掌礼拝させていただいています。
 そしてお写経をされた方々の願いが通じ、世界の平和や人々の幸せが成就することを祈っています。