密教と大日如来についての素朴な質問
明治寺住職・仏教情報センター事務局長  草野 榮應(くさの・えいおう)
(2002年『大法輪』7月号より抜粋)

 
 
Q.大日如来とはどのような方ですか?

 森に棲むリスは、木の実を集めてはあちこちに穴を掘り、食糧として蓄えます。大部分はちゃんと掘り出して食べるのですが、必ずそのうちの数パーセントを土中に忘れ去ってしまうのだそうです。そして土の中からやがて芽が出、その一部が森の木に育っていきます。木の実は土の中に埋められなければ発芽しないのだそうです。つまりリスたちは、自分では全く意識せずに森を維持し、再生してゆく仕事を果していることになります。
 この話をきいて、私は自然のしくみの素晴らしさを思いました。私たちの世界というのは本来、このような妙なるはからいの中で営まれ、育まれているものなのだと思うと、この世界に乾杯をしたくなってきます。
 こういう話はもっと他にもたくさんあって、私が驚いたのは地球と太陽との間の絶妙な距離についてでした。地球は、高温の金星ほど太陽から近くなく、低温の火星ほど遠くなく、要するに程良い距離にあり、水が液体で存在できる希有な星なのですね。太陽と地球の距離がほんのわずか狂っていても、生命の発生があり得なかったのは確かです。なんときわどいところで、我々は生かされているのでしょうか。
 大日如来とは、その大いなる不可思議の真ん中にどっしりと坐っておられる仏さまであります。大日如来に心からまみえるためには、センスオブワンダー(驚きの感覚)というものが必要かも知れません。
 大日如来の原名を直訳すると、「大いなる光の仏」となります。奈良の大仏さんは毘慮舎那仏(光の仏)ですが、大日如来はさらに「大」が冠せられています。大仏さんより大きいって、どの位大きいかと言うと、宇宙の大きさに等しい仏さんだと言えるでしょう。
 大日如来は、その智慧によって無明の闇を照らします。実際の太陽は影を造りますが、大日如来の智慧はあまねく照らしています。そして大日如来の慈悲は、あらゆるものを生かし育みます。また、その智慧と慈悲の光は時間を越えています。真理そのものが仏の姿をとって顕れた方、即ち法身なのですから。

Q.お釈迦様と大日如来の関係は?

 お釈迦様はインドの歴史の中に実在した方ですから、歴史の制約を受けられました。ルンビニに誕生され、ご成道の後伝道の旅を続けられ、そしてクシナガラにてその生涯を閉じられました。その間、お釈迦様の導きに出会うことができた人は、さぞ幸せであったことでしょう。しかし、お釈迦様を慕いながらもめぐり合えなかった後世の人の多くは、やはり悔しい思いをしたに違いありません。明恵上人などは、悲しみの余り涅槃会のたびに、夜通し泣き続ける儀式を残されたほどでした。
 もちろん、お釈迦様が残された言葉を集成して、それを皆で暗記し、一字一句違えずに伝えようとする人々もありました。しかし伝道の旅の道すがら、それぞれの場面でなされたご説法は、その場その場で相手に最もふさわしい形で説かれたものですから、後世の人が「今、私がお釈迦様に会えたならば、どういう説教をなされただろうか」と思ったに違いありません。その思慕は長い時間の経過の中で、歴史上の仏陀を越えた、「より仏陀的なもの」「仏陀を仏陀たらしめる、根本の真理」を求めるようになりました。それがさとりの本質としての、歴史を超えた法身として、私たちの前に示されてきたのです。これは、仏を求め続けた人間の歴史にとって、必然的なことでありました。
 ニュートンと万有引力の法則の関係を思い浮かべてください。ニュートンが法則を発見しなくとも、太古の昔からりんごは落ち続けていました。つまりニュートンは引力を発明したのではなく、普遍的な力学の法則があることを初めて我々に示した人でありました。お釈迦様は歴史に実在して、初めて法の世界を我々の歴史につなげてくださった方です。

Q.大日如来は天地創造の「神」ですか?

 仏教は「無記」ということを伝えています。その譬えのために、毒矢に射られた人の話が語られました。毒矢に射られた人はまず大至急でその毒を抜くことが大切で、誰が矢を放ったのかとか、どんな弓で射たのか、などというのはその後に問うべきであるように、我々には短い人生の中で緊急に取り組まなければならないことがあるはずなのです。それは自らの心の中の三毒を抜き取ることではないか、という教えが「無記」であります。
 永遠に答えの出ない形而上学の問題、「世界は有限か無限か」「身体と霊魂は同じかどうか」「如来は死後に存在するか否か」というような問題は戯論として、文殊菩薩の剣によって切り捨てられるべきものなのであります。
 つまり、この世界は誰が創造したのか、などということを問う発想そのものが、仏教の中のどこにもないのです。だから、大日如来は宇宙にあまねく満ち満ちている真理そのものではあるけれども、世界の創造者であると考えられたことは決してないのでした。
 仏教では、ずっと昔のことを「無始よりこの方」と言い、ずっと未来のことを「未来の際を尽くすまで」と表現します。世界が創造されたものであるという発想がないから、世界はいつか滅亡するもの、ということにもならないのですね。だからハルマゲドンというものは、仏教の中からは出てくるはずがないのだということを、付け加えておきます。

Q.大日如来の教えとは何ですか?

 この問いに簡単に答えられたらどんなによいかと思います。例えば、プリズムによって虹の七色に分けられる前の光の色は何色ですか、と問われるのに等しいのです。大日如来自身が真理そのものであるからです。そこから種々の縁に触れて、初めて個々の教えとして、私たちに届けられるもの、そんな風に思っています。
 しかし敢えて言うならば、「実の如く我が心を知れ」ということが、大日如来の教えとして言えるでしょうか。では、「わが心のありのままの真実の姿」をどう知れというのか、ということになります。
 私たちは意識の奥底の無明という妄執に囚われて、あたかも蚕が自ら紡ぎだした繭の中に閉じ込められるように、迷いの心が自我を勝手に紡ぎ出し、そして執着の虜となって我が身を苦しめているのが、我々の本当の姿なのだということなのです。それは本来の仏教の教えそのままであります。教理的には、それまでの大乗仏教がたどりついた中観や唯識などの哲学などが集大成されていて、密教という体系に統合されているのだと考えてよいと思います。
 「蛇縄麻の譬え」を教わったことが印象に残っています。草むらのうす暗いところに、何か細長いものがチラと見えた……。「ヘビだ!」と思った瞬間に、全身は硬直し、恐怖に震えた……。しかしよく見ると、縄の切れ端であったことが判明した……。「なあんだ、私はありもしないのに蛇という思いを自ら作りだして、勝手に震えていたのだ」と知ります。「しかし待てよ、縄だと思っているものさえ、私が勝手に観念によって作り出したものであり、実は麻の繊維が縒り合わされたものではないか」とさとった、という譬えによって、自我意識やその奥の潜在意識に囚われていたことを反省せよというのです。
 このようにして私たちの心は世界を過って認識し、それによって私たちの四苦八苦があったのです。それから解脱するための方法論をこれから示すから、一生懸命におやりなさい……、それが密教なのです。
 つまり、目的地は「菩提(さとり)」です。そこへ行くための具体的な方法論を主眼に、密教の体系は説かれました。そして、さとりへ引き込もうとして旺盛な働きを示している曼荼羅の諸仏諸菩薩の導きに従いさえすれば、あなたは間違いなくそこへ行けるのですよ、という根拠を示して、修行論が展開されているのです。

Q.弘法大師と大日如来の関係は?

 弘法大師は、大日如来として生きられた方です。師の恵果阿闍梨から賜った灌頂名「遍照金剛」とは大日如来を意味しますが、それをいかに深く受け取っておられたかは、そのご生涯そのものが物語っています。
 お釈迦様もそうでしたが、多くの偉大な宗教的天才は、人生の途上で大きな挫折や試練を受け、それを縁として一際高い境地を切り開かれたように思います。弘法大師も若い頃に、宮廷の大学に入りましたが途中で放棄されました。その後の謎の十年間と言われる間は、激しい求道の苦しみに幾度も涙を流し、わが身を崖から投げ落として自分の命を仏に捧げようとまでされたと言います。
 その挙げ句にようやく密教の経典に出会いますが、悲しいかな、その意味は全くわからない。なぜならその経典の肝心な部分は、師から弟子へじかにしか伝えられないものであったからです。何とかしてそれをわかりたいという一念がとうとう天に通じて、やがて唐に渡って密教を学ぶ道が開かれたのだと、大師は後に述懐しておられるのでした。
 弘法大師のご生涯というと、真言密教の開祖としての華々しい活躍に注目が集まりますが、ふつふつと沸き上がる求道の情熱に悶々としておられたこの時代を無視することはできません。その後の事跡は、その当然の結果にすぎなかったとさえ言えるのです。
 唐の長安における恵果阿闍梨とのめぐり合いは、歴史的な奇跡とも言えるものでした。なぜなら、伝授を終えてほどなく恵果阿闍梨は遷化されたし、唐における密教そのものもやがて弾圧によって衰退するからです。
 ともかく弘法大師は、その劇的な出会いによって、金剛界と胎蔵界の密教の体系が、膨大な経典・法具・仏画などとともに日本へ請来されました。そしてわが国での真言宗の立教開宗、高野山の道場の開創、『十住心論』など様々な著作、庶民の学ぶ大学の設立、東寺や東大寺の責任者への就任など、華々しい業績を残されましたが、日本全国津々浦々にまで弘法大師伝説が及んでいるのは、また不思議なことです。
 それは多くの場合、水や温泉にかかわる伝説です。いろは歌もお大師さんが作られたということになっています。とにかく、偉大なことはみなお大師さんのおかげだと言えば、庶民はみな納得したようです。それはあたかも、その中央に位置する大日如来が隅々にまで恵みを及ぼしている曼荼羅のようなものではないかと思います。
 弘法大師が晩年に述べられた、
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、わが願いも尽きん」
という有名な言葉があります。これは、限りない衆生済度への意思の表明であり、入定留身の信仰はまさにここに起因しているものと思われます。もっとも、その言葉の意味するところは、「これから私は、大日如来の永遠のいのちに帰入して、永劫に衆生を救い続けるであろう」ということなのです。こんなすごいことをすらりと述べられたというところに、その途方もない大きさがあるのでしょう。

(以下略)