| 沢庵の逸話 |
| 静岡市・宝泰寺住職 藤原 東演(ふじわら とうえん) |
| (2003年『大法輪』7月号より抜粋) |
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◆沢庵の逸話
力量のある人はエピソードが多い。個性的な生き方をしたからである。とりわけ大悟した禅僧の言動は著しく非日常的であったり、非常識に見えることもしばしばである。しかしその分、時代を超えてわたしたちをして人生の真理を直截的に覚醒させてくれてきた。沢庵禅師もかなり逸話が多い禅者である。ただ一休さんのように、アイロニカルだったり、突飛なエピソードはほとんど見られないし、また良寛さんのように童心に回帰した、あのほのぼのとした人柄を感じさせるような禅者ではない。当時としては、傑出した学僧であり、生涯、簡素で、閑雅な生活を希求した人である。私自身、沢庵というとあまりに「不動心」と「夢」の教えのイメージが強すぎて、そういう側面を看過してきたようだ。 今回、特に『沢庵の味』(伊藤康安著)という本を資料として読了してみて、私の禅師観が大きく変化したことを正直に告白しておきたい。むしろ禅師の生き様は実に真摯であり、その時代の世相を相当手厳しく裁断している。その視点を21世紀の混迷する現代人に当ててみることによって、さまざまな問題点に灯火を掲げ、乗り越えていく道筋を私たちに照破してくれると思うのである。 そこで極めて管見だが、現代人が抱えている問題点を、次のように五点挙げて、沢庵が残した逸話からその回答を引き出してみたい @21世紀は不透明で、とても不安な時代だと言いながら、 あいかわらず物の豊かさに引かれ、生活を簡素にでき ないでいる。つまり自分なりの相応な生活の哲学を持つ努力を怠っていないだろうか。 A人がみな自己中心的になり、他人の心の痛みを想像する力が大変、弱くなっている。 B義務や責任を果たすことより要領よくやれるかどうかに関心があり、何か気にいらないことが起きると、自分の心をコントロールできず、歯止めがない社会になっている。 C情報社会にあって、知識は増え、学歴も高くなっている。 しかし肝心な自分とは何か、人間とは何か、あいかわわらず探求しようとしない。 Dいつも何かのためにのみ生きているから、心も体もせわしなく、ストレスがたまっている。 @について ――沢庵と「沢庵漬け」 これからの時代、自分なりの生活スタイルをデザインし、応分な生活を楽しむ時代にしなくてはいけないと思う。四十八歳のとき、郷里の但馬に帰り、荒廃していた宗鏡寺(すきょうじ)を再興し、後山に投淵軒(とうえんけん)を立てる。投淵軒という名は時勢を憂いて汨羅(べきら)の淵(ふち)に身を投じた、詩人屈原(くつげん)の故事からとった。すでに当時、富貴に近づき、媚び、仏法を売って渡世を営む坊さんがいた。沢庵は世間の名利(みょうり)から離れ、麻衣を一枚まとい、小鍋ひとつだけで野菜根を煮、米をとぎ、粥を作り、ただ自己の探求を深めた。まさに大徳寺の開山大燈国師の遺誡(ゆいかい)の心に報いんとしたのである。やむをえず三代将軍家光との交流が始まっても沢庵の枯淡な生活は生涯、変わらなかった。 沢庵漬けのエピソードも沢庵のそうした生き様から自然に生まれたものなのである。 三大将軍家光は沢庵のために品川に東海寺を建立し、しばしば来訪した。ある日のこと。将軍は「余は近頃なにを食してもおいしくない。何か口に合うような美味なものはないであろうか」と禅師に問うた。沢庵は「それはいと易きことでございます。明日の巳の刻に、お出ましください。ただお願いがございます。愚僧のもとにお出ましになったうえはあなたは客であります。どんな用があっても決して中座なされてはいけません」と話した。 翌日、家光は小姓(こしょう)三名を連れて、やってきた。茶室へ案内すると、禅師は引きさがってしまう。どんなご馳走が出るかと、しばらく庭の景色など楽しんでいたが、一向に姿を現さない。次第にいらだってきたが、禅師に約束したので動けない。お茶とお菓子だけではもう腹が減ってたまらない。もう我慢も限界だと思ったとき、沢庵が現れ、「はなはだ遅刻つかまつり恐れ入ります。沢庵手作りの料理ございます。なにとぞご賞味ください」とお膳を出した。 お膳を見ると、黄色いものが二三切れ皿に載せられてあるだけで、あとは飯椀が添えられているだけであった。小姓たちは顔を見合わせて、「この黄色のものはなんだろう」と口々に言った。家光は「ご馳走になるぞ」と言うや、お椀を取って飯を食べ、その黄色いものを恐る恐る口に運んだ。ところが食べてみると、ほどよい塩加減で味はよく、こりこり実に歯ごたえがよい。顔の相好をくずして、「これはまことによい味じゃが、一体なんであるのか」と聞く。沢庵は「それは大根のぬか漬けでございます」と答えた。 沢庵はこの漬物はとても耐久性があるので、「たくわえ漬け」と名づけ、日ごろから常食にしていたのである。そう説明すると、家光は「そうか、それならたくわえ漬ではのうて、沢庵漬けがよいぞ。さすが和尚じゃ」と褒め称えたという。 すると和尚は「上様は日々、結構なるものを食されていますから、口が贅沢になっているのです。空腹なら、このような粗食でも味がよきこと変わりがありません。そこのところをお考えください」と遠慮なく将軍の奢侈(しゃし)を諌めた。家光は笑いながら、「和尚、権現様(=家康)は千軍万馬の間を往来して、一日二日は一口も食されないことがあったそうじゃ。余はお祖父様の功労で天下の将軍にさせていただいた。それを思.えば、賛沢は慎まなければならない」と頭を下げたという。 禅宗の食事に用いる食器のことを応量器という。自分の食の量に応じた器の意味もあるが、食事のとき、まず感謝し、自分がいただく資格があるかどうか反省して食べるのなら、おのずと分相応な食事のいただき方になるはずである。 「動物は餌をあさり人間は食事をするが、食べ方を知っているのは賢い人だけだ」と美食家で知られるブリヤ・サバランは書いている。現代人は栄養、ダイエット、グルメということばかり関心があり、大切な食事の心構え、いや人間らしく食べることを忘れていないだろうか。本来、食べる内容、食べ方と人間の品性は深く係わっている。沢庵は人間としての品性にふさわしい食生活を心がけるよう教えたのである。 Aについて ――植物をあわれむ沢庵 今日、人間がいよいよ自己中心的になり、他者の痛みに鈍感になっている。他者は自分を利するためにあり、ものは自分にとって有益かどうかだけが触れ合い方になっていないだろうか。 やはりある日のこと。寺の小僧が庭を掃いていた。お茶の芽が五分、一寸と出ているのを無神経にも箒(ほうき)にかけて、傷めてしまった。それを見た沢庵はわがことのように胸が痛んで、竹で垣根をこしらえて、その若木をいたわってやった。するとその小僧が側からへらず口を言うには、「そんなに大切にしたって、どうせ摘んで、お茶にして飲んでしまうではありませんか」。即座に和尚は「そんなことを言うものではない。仁心、草木に及ぶといって、人は草木にも情をかけて、それを愛してやらねばならないのだよ」と諭したという。 沢庵は『玲瓏集』(れいろうしゅう)で、「栗や柿に痛みも悲しみもないというのは、人間が外から見た考え方です。栗や柿の身の上には、痛みも悲しみも、自然に備わっているように思われます。草木が傷んでいる風情は、人間が痛みを憂えているさまと変わることがありません。水を注いでやったりして、生き生きとするとき、うれしそうな風情があります。切れば、倒れこんで、葉がしおれてしまうさまは、人が死んでゆくのと変わりません」(『日本の禅語録十三』沢庵)と述べ、さらに「草木のことまで知り尽くすのは聖人の知恵です。たいていの粗雑な心では、わからないことです」と説いた。 沢庵がいかに草木を日々、じっくり観察し、触れ合っていたかわかる。花がつぼみから咲けばわがことのように喜び、しぼんでいくさまを見守っていれば、わがことのように諸行無常を感じ悲しんだに違いない。粗雑な心とは自己中心的な心のこと。心が自分の関心あることばかりに向けられていると、心は狭くなり自分の周囲を潤いの目で見ることはできない。人の悲しみや苦しみを想像する余裕などなくなる。まして花の一輪などに無関心なのは当然だ。 仙香iせんがい)禅師の話であったと思うが、雑草を取りながら、「南無阿弥陀仏」と称えていたそうだ。仏法の慈悲は禽獣草木にまで及んでいる。人は人間ばかり相手にしていると、いよいよ心が荒れ潤いをなくし小さくなる。山川草木という自然にわが身を置いて、己の矮小さを放下(ほうげ)せよ。そう沢庵は語っているようだ。 (以下は本誌をご覧下さい) |
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