信か、覚か──宗教の違いと共存
東京医療保健大学教授 菅原 伸郎(すがわら のぶお)
(2005年『大法輪』7月号より抜粋)

 
   
  ウルビラ村にて
 北インド・ビハール州のウルビラ村で、友人と朝食前の散歩をしていた。ネーランジャー河のほとり、朝もやの中に菩提樹の大木が立っている。根元には二メートル四方くらいの囲いがあって、ヒンドゥー教の拝所のようだった。
 どこからか、二十代くらいのサリー姿の女性が水瓶を手に現れた。木戸を開いて柵の中に入り、土間をまず掃除する。中央の穴に灯明をつけて手をかざし、拝所の四隅に水をかけた。入念に浄めたあとで、灯明の前で手を合わせる。像などは何もなく、ただ大木に向かって祈っている。集まってきた少年たちに尋ねると、一人が「シヴァの神がおられるんだ」と教えてくれた。
 促されて、すぐ隣に建つ祠堂(しどう)へ回った。こちらは約三メートル四方の、屋根のある白壁の社(やしろ)だ。格子戸(こうしど)越しに覗(のぞ)くと、トラにまたがった色鮮やかな女神が見える。シヴァ神の妃、ドゥルガだった。村人らしい中年の男女が堂の内外を掃き、水で洗い浄めたあとで、灯明をつけて祈っていた……。
 昨年十二月、バスや列車で通り過ぎたインドの町や村には、ヒンドゥー教のさまざまなお堂や祠(ほこら)があった。日本の地蔵尊程度のものから稲荷や鎮守社くらいまで、大小さまざまだ。ガンジス河での沐浴(もくよく)や都市の大寺院での参拝風景は見てきたが、農民たちはこうした小さな祠堂でどうやって、何を祈っているのだろうか、と考えていた。
 そして、私は先の場面に出くわしたのだった。日の出とともに祠を浄め、一日の無事を祈り、それから仕事を始めるのだろう。周囲の民家の壁に円形の牛糞が一面に干してある点は違うものの、日本で見る神社の朝と変わりない風景だった。
 沖縄各地で見たウタキ(御嶽)信仰とよく似ている。やはり巨木や洞窟の前で、島民たちは線香をあげていた。伊勢の外宮(げぐう)にある森へ分け入ったときも、根元にひっそり御神酒(おみき)や御幣(ごへい)が供えられた大きなヒノキを見つけたものだ。
 インドから帰った私は、小説『チャタレー夫人の恋人』の作者D・H・ロレンスが書いた『黙示録論』(福田恒存訳、ちくま学芸文庫)の、次の一節を読み返した。
《古代の意識にとっては、素材、物質、いわゆる実体あるものは、すべて神であった。大きな岩は神である。池水も神である。いや、なぜそうでないと言えようか。吾々はこの世に齢を閲(けみ)すれば閲するほど、ありとあるヴィジョンのうちその最古のものへと還って行く。大きな岩は神なのである。私はそれに触れることが出来るのだ。それは否定しえないものである。どうして神でないといえようか》

○まずは「信の宗教」
「諸宗教の違いは何か」と問われたとき、私たちはとかく、キリスト教は、仏教は、イスラームは、といった風に考えてしまう。しかし、たとえば密教と禅と真宗とは、本当に同じ「仏教」だろうか。南アジアの仏教とチベット仏教と日本仏教は同じものなのか。キリスト教にしても、イスラームにしても、さまざまな流派に分かれており、それぞれ、その中身はかなり違っているはずだ。
 そうした分類は考え直すべきだろう。私は最近、縦割りにではなく、いわば横割りに考えるようにしている。たとえば、禅思想家の久松真一は一九四九年に発表した『無神論』(法蔵館)で、「信の宗教」と「覚の宗教」を対比していた。
《(これからは)「信の宗教」ではなくして「覚の宗教」になって来なければならない。普通は「信」が宗教的作用と考えられているが、(それは)結局中世的なものにならざるを得ず、「覚」がそれであるような宗教こそが近世を超えてゆくと考えたい》
 大自然を前に、人類はまず「信の宗教」を考えた。古代の信仰は、名前こそ違っているが、どれもロレンスがいうようなものだったろう。ウルビラ村のような信仰は、それぞれの地域で何千年も、あるいは何万年も前に始まっていたのではないか。いわゆる偶像崇拝や八百万(やおよろず)の神々があって、それが次第に統合され、いわば「あと知恵」としてのシヴァ神や天照大神、あるいは旧約聖書の唯一神が創られたのだろう。
 こうした「信の宗教」は、宗旨こそ違うものの、結局は同じ信仰である。北野天満宮の社頭で合格を頼む受験生がいる。清水寺で無病息災を願う善男善女がいる。ニコライ堂で平和を祈る信徒がいる。多神教であろうと、一神教であろうと、祈る側は特定の「対象」を相手にし、それが「超越的存在」につながっている、と信じている。
 対象が鳥獣草木のこともあるし、海や山のこともある。善なる神もあれば、悪魔のときもある。相手が単数のときもあるが、複数のこともある。いずれにせよ、実体として「対象」を想定し、それに頼ったり、語りかけたり、願ったりする点では、すべて同類だ。本居宣長は『古事記伝』(岩波文庫)で、カミをこう定義していた。
《迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、其(そ)を祀(まつ)れる社に坐(ざ)ス御霊(みたま)をも申し、又(また)人はさらにも云(いわ)ず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其餘(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微とは云なり》
 祈りの対象は一般に「神」と呼ばれるが、ときには「仏」ともなる。形骸化してくると、この対象は奇怪な様相を持つようになり、ゴテゴテと飾られる。そうなると、陰では「迷い」とか「迷信」とも呼ばれてしまう。仏教もキリスト教もイスラームも神道も、新宗教も新々宗教も、風土や歴史によって理由付けや形は異なるが、「信の宗教」としての本質は似たり寄ったりである。あるときは権力者や指導者に悪用され、人間抑圧の道具や偏狭なセクト主義にも堕ちてしまう。

○「覚の宗教」の発見
「信の宗教」しか知らなかった人類は、紀元前五世紀に一大飛躍を遂げる。ゴータマ・シッダルタという男が新しい鉱脈を掘り当てたのだ。冒頭に紹介したウルビラ村にすぐ隣の、ブッダガヤという土地に生えていた菩提樹の根元で、釈尊は大きな発見をした。理性を捨てて何かを信じ込むのではなく、あるがままに世界を受け入れること。つまり久松のいう「覚の宗教」に達したのだった。
「ゼロ」がインドから世界中に広まったように、新しい宗教哲学は、たとえばアレクサンダー大王の軍勢とともに西方にまで伝わったかもしれない。ユダヤ教はもっとも系統だった「信の宗教」だったろうが、その土壌に生まれたイエスという男は、明らかに「覚」の立場から民衆に隣人愛を説いた。マルティン・ブーバーの『ハシディズム』(平石善司訳、みすず書房)などを読むと、古代ユダヤ教にも「覚」の素地はあったらしいが、もしかしたら、仏教の影響があったことも考えられる。いずれにせよ、ブッダに五百年ほど遅れて、イスラエルでも「覚の宗教」がはっきりと起こった。このことは近年、グノーシス派の研究などを通じて次第に明らかになりつつある。
 もちろん、イエス没後から現在に至るまで、キリスト教徒の多くは「父と子と聖霊」という三位一体の神を拝む「信」の立場を守っている。古代ユダヤ教の信仰を引き継ぎ、神を高きに仰ぎ見ていることだろう。しかし、キリスト教の流れを振り返るなら、エックハルトやタウラーといった中世神秘主義者は明らかに「覚の宗教」に属する。傍流であるが、四月に亡くなったローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が神秘思想家・十字架のヨハネの研究者だったように、流れは脈々と現代まで続いている。
 イスラームにしても、聖典「クルアーン」を表面的に読むと、神に恐れおののく「信の宗教」のようにも見える。しかし、「イスラーム」は絶対帰依という意味であり、もともと現世利益を求めて拝み頼む宗教ではない。ちなみに『ルーミー語録』(井筒俊彦訳、中央公論社)などを読むと、もっと奥深いムハンマドが見えてくる。「スーフィズム」と呼ばれる神秘主義であり、あきらかに「覚の宗教」の系譜だ。この思想はその後、中世インドに伝わってヒンドゥーのバクティ運動やシク教に影響を与えたともいわれる。

○用語を理解し合う
 ブッダやイエスやムハンマドの「覚の宗教」は根底で同じはずだが、一見するだけではなかなか本性が見えてこない。迫害された異端信徒が信仰を偽装するように、「覚」は「信」の儀礼や教義の奥深くに、こっそりと本性を隠しているのだ。いや、脱俗的な「覚」の教えは誤解され、通俗的な「信」の中に塗り込められている、というべきか。
 キリスト教の「聖霊」は、新約聖書では《聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た》(ルカによる福音書三・二二)などと描かれている。形ある何かが空から降ってくる印象だが、実は、青年イエスが「回心(かいじん)」したときの感動を象徴的に表している。白隠禅師が夜明けの鐘を聞いたときや、実存主義者J・P・サルトルがマロニエの木を前に嘔吐(おうと)したときと、ほぼ同じ体験をしたのだろう。逆にいえば、白隠にもサルトルにも「聖霊」が下っていた、といえないか。仏教の「回向(えこう)」「本願」「頓悟」、西田哲学の「場」といった言葉との類似性も考えてみたい。
 浄土教は「信の宗教」と思われがちだが、実は「覚の宗教」とも分類できる。阿弥陀仏を実体として信じ込むだけなら「信」に違いないが、その大前提に「覚」や「空」を置いたうえでの「方便法身(ほうべんほっしん)」だからである。この「実体か、方便か」を考えていくと、「浄土とは死後のことか、生前のことか」という論争にも行き着く。同じ宗旨といっても学者・僧侶によって答えは大違いであり、浄土宗や浄土真宗は同床異夢の教団なのだ。
 仮に「観無量寿経」の《汝よ、いま、知るやいなや。阿弥陀仏、ここを去ること遠からざるを》という言葉に重点を置く近代教学に立つならば、《西方の極楽国土》にこだわる伝統教学には納得できないだろう。そうした人は、むしろ《「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ》と述べたイエスに親近感を覚えるかもしれない。
 祈りや儀式など、類似点は多いはずなのに、とかく「信の宗教」は心を開き合うことができない。ヤーウェとかアッラーとか大日如来とか、その「対象」の固有名詞にこだわるからではないか。その点、内面的な「覚の宗教」は、経典の片言隻句(へんげんせきく)よりも瞑想を重んじる日常であり、互いに相手の深さを認めることができる。その瞬間の感動、つまり踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)の心を、一宗一派だけのものとは思えないはずである。
 キリスト教と仏教の間には、浄土と神の国、慈悲とアガペーなど、似たような概念がたくさんある。二十世紀後半になって、その類似点と相違点を明らかにする作業が、日本、ドイツ、米国などの哲学者・宗教者らによって進められてきた。今後はさらに、イスラーム、ユダヤ教、道教などとの比較研究も盛んになるはずだ。そうした道筋を通してこそ、宗教は相手を深く尊敬しあえるようになる、と私は夢想している。