| 施餓鬼会の由来 |
| 沼津市・龍雲寺住職 村越 英裕(むらこし えいゆう) |
| (2003年『大法輪』8月号より抜粋) |
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施餓鬼会は施餓鬼、施食会(せじきえ)とも言い、餓鬼道に苦しむ衆生と鬼神に施し救うことが目的です。
宗派や地方によってやりかたに相違がありますが、本堂の入口に施餓鬼棚を組み、「三界万霊十方至聖」と書かれた位牌を安置します。さらに、餓鬼に供養する餓鬼飯、米や水などの入った容器などを用意し、数人から十数人の僧侶によって一時間程の読経がなされます。 しかし、今日の施餓鬼会のメインは先祖供養です。檀家さん各家の先亡や先祖のために塔婆が用意され、式中、名前が読み上げられます。 出席した檀家さんにはお弁当や御供物、寺院には食事を用意します。それから、十人僧侶を呼ぶということは、それぞれの寺院の施餓鬼会にも出頭するということです。 その施餓鬼会には次のようなルーツが伝わっています。 ある日のことであった。お釈迦さまの弟子の一人で多聞第一とされる阿難尊者は大きな木の下で静かに瞑想していた。すると突然、焔口という餓鬼があらわれた。 餓鬼はみにくくやせ細り、首、手足も細く、口の中で火が燃えている。驚いた阿難に餓鬼はこう予言した。 「お前の命はあと三日だ。そして、おれと同じ餓鬼になり、苦しむのだ」 餓鬼はふてぶてしく笑った。 「生きたいか?」 「もちろん」 「そうか。それなら助かる方法を教えてやってもいい。まずはすべての餓鬼たちへの食べ物と飲み物の供養をしろ。それからおれのための供養も忘れるな。そうすれば、お前は長生きができる。仲間の餓鬼たちもみな天上界に昇ることができるのだ」 餓鬼が立ち去ると、阿難はお釈迦さまの所へ、すべての餓鬼を救う方法を求めに駈けていった。するとお釈迦さまは一つの器で無数の餓鬼を救う具体的な方法などを伝授した。 この結果、阿難は餓鬼になることなく、八十八歳という長寿を得、仏の教えを多くの人に伝えることができた。 出典は中国で成立した『救抜焔口(くばつえんく)餓鬼陀羅尼経』、テーマは「阿難と餓鬼の救済」です。しかし、施餓鬼会を日本に伝えた空海は「疫病延命」、室町時代は「さまざまな災難を除け」、鎌倉時代には「夏のご先祖さま供養」と目的が変化していきます。 施餓鬼会には特別な期日指定はありません。したがって、彼岸中に行っている寺院もあります。しかし、お盆には餓鬼になった目連尊者の母を七月十五日に救うという由来があり、このお盆の期間中、施餓鬼会を行う有力寺院があったため、混同化されていったようです。 両者の由来は別のものですが、バックボーソにある「すべての餓鬼の救済」を見逃してはいけません。 また、今日の施餓鬼会では「餓鬼」「三界万霊」「新亡」「無縁仏」「各家先祖」、さらには「第二次世界大戦の戦死病死者」「天災地災交通事故死者」などの供養がなされています。 これらを考え合わせると、お盆や施餓鬼会にご先祖さまに手を合わせることだけではなく、すべての"いのち〃に感謝する気持を忘れてはいけません。自分のご先祖さまだけ供養すればいいと思う心は餓鬼なのです。そこで、施餓鬼会の心得を三つまとめてみました。 (その1) 今までに亡くなった方、すべての人に手を合わせよう。 (その2) すべての人の〃いのち"のおかげで今の私たちがあることを実感しよう。 (その3) お互いのために供養する布施の心を広めていこう。 |
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