地球をまほろばに
薬師寺管主 安田 暎胤(やすだ えいいん)
(2006年『大法輪』 8月号より抜粋)

 
   
  宗教者の役割
 日本の心ある多くの人は、最近の凶悪な犯罪事件を報道される度ごとに「日本は物質的に豊かになったが精神的には貧しくなった」と憂いの心で眺めておられると思います。こうした現象は先進国共通のようです。これには政治家や教育者の責任も大きいのですが、日本人全体が考えなければならない問題です。中でも宗教者は人の心を指導すべき立場にあり責任は重いと思います。
 しかし、読売新聞の世論調査によりますと、日本人の75%が宗教を信じていません。また60%の人が宗教を大切に思っていないのです。要するに宗教の必要性が認められていないのです。
 あるいは「自分は無神論者である」と胸を張っていう人もいます。そういう方は自分自身の信仰心や宗教的知識が乏しいことへの謙遜さからかも知れませんが、無神論者であることの方が正常な知識人であると自負しているようにも受け取れます。その原因は宗教に凝った人が時には非常識な言動や行動をするからです。しかし宗教的知識の乏しいことと、無神論者とは別のはずです。
 ただ宗教を信じない人でも80%の人は、初詣や墓参りはしているのは不思議な現象です。ということは、多くの日本人には信仰心を十分もっている証拠です。
 宗教は人間関係の和を保つのに重要な役割を果たすものですが、行き過ぎた信仰によって誤った事件を起こすこともあります。寛容を説く宗教者が不寛容になって問題を起こす人もいます。宗教者が宗教を正しく実践しないことにより、争いを起こしていることも素直に認めなければなりません。今日の戦争の原因は、領土や資源の争奪、人種差別の抵抗、貧富の差の不満、恨みの報復などであるのに、宗教戦争という言葉が使われているのは残念です。宗教者は宗教の信頼を得るために努力しなければなりません。そのためにも宗教者同士の積極的な対話や交流をすべきだと思います。
 世界に広まっている宗教は、いろいろ共通点があります。たとえば、

一、 神の啓示や仏の教えを信仰し、神仏の前か方向に敬虔な礼拝をすること
二、 神仏に護られ生かされていることを感謝すること
三、 平和や人を愛し生命を尊重すること。そのためには「人を殺すな」、「他人の
   財産を奪うな」、「嘘を語るな」、「自分にされていやなことは他人にするな」
   と戒めていること

などです。
 しかし全く同じではありません。違いを論争するよりも、共通点を語り合えばよいと思うのです。違いは顔形や肌色のように、個性として理解しあうべきです。家の四方の窓から見る景色は違っても、屋根に上れば同じ空の下ではないか。そういう広い心で互いの違いを尊重できないものか。およそ世界に広まり長い歴史を有する宗教は、いずれも普遍性と永遠性があります。音楽や絵画などの芸術においても同じ感動があるように、人間の喜怒哀楽の感情には大した差はないのです。
 したがって宗教が正しく実践されていれば、その必要性が理解されると思います。

松下幸之助氏よりの要請
 昭和四十年代の後半のことです。松下幸之助氏が主催する講演会に講師として薬師寺元管主の高田好胤師が招かれました。その控え室で松下幸之助氏と高田好胤師が次のような会話をされているのを随聞しました。

松下 「日本経済は今日まで順調に発展してきたけど、この調子で
    経済だけが進んでは、日本人が可笑しなる。あんさんが中心
    になって何とか日本人の心を取り戻す運動をしてくれまへんか。
    それに必要な経費は、我々経済人で集めるさかいに」。
高田 「松下さんとこは、すでにPHPで立派な世直しの仕事をしては
    りますやないですか」。
松下 「いや、あれはあれでもう一人立ちしてるんで良いですが。それ
    とは違う形で運動して欲しいんですわ」。

 当時の高田好胤師は、仏教界ではかなり知名度が高かったように思います。テレビにレギュラーとして出演したり、『心』とか『道』という著書がミリオンセラーとなって売れたりしていました。法話や著書では「物で栄えて、心で滅ばぬように」と訴えていました。そうした活動ぶりに松下師は着目されたのでしょう。
 高田好胤師はまだ四十代後半の若僧でした。まさか経済界の大御所から大役を要請されるとは思いもしていなかったのです。突然のことで戸惑い気味で、即座に承諾できず検討するということで別れました。
 大役を指名されたことは有り難いが、一人では不可能です。そこで青年会議所のOBや、日頃から親しくしている文化人と相談しました。そして発足したのが「日本まほろばの会」という講演会を中心とした活動でした。メンバーには万葉学者の犬養孝、音楽家の黛敏郎、評論家の村松剛、裏千家の千宗室(現千玄室)、ワコールの塚本幸一、サントリーの佐治敬三氏等十数名の方々でした。
 北海道から沖縄まで随所で講演活動をし、日本人の心を取り戻す訴えをされていました。しかし次々と同士が逝去され、平成十年に高田好胤師が遷化(せんげ)したことにより会は閉じられました。
 平成十五年八月に薬師寺管主として晋山(しんさん)した私は、昭和四十二年から平成十年までの三十一年間にわたり、高田好胤管主の下で執事長を勤め、共に薬師寺伽藍の復興をしてきました。その中で高田好胤師から、「伽藍栄えて仏法滅ばぬように」ということもよく耳にしました。今日まだ伽藍復興は完成していませんが、復興のスピードは落としてでも閉会された「日本まほろばの会」を継承することがこれからの寺の使命と思いました。
 管主就任の晋山式の場でその意志を宣言したところ、読売新聞社の創業百三十年の記念事業の一つとして協力を得ることが出来ました。その名を「薬師寺21世紀まほろば塾」として発足しました。

「まほろば」の心
 「まほろば」という言葉は、『古事記』の中から選んだものです。日本武尊(やまと たける)が旅先(伊勢の能煩野=のぼの)より大和を偲んだ(思国歌=くにしのびうた)望郷の歌に、

    大和は 国のまほろば たたなずく青垣
       山ごもれる 大和しうるわし

 というのがあります。「まほろば」とは、一番すぐれた所、美しい所、中心地という意味です。一文字ずつを解釈しますと、「ま」は接頭語で、しっかりそろっているというほめ言葉。「ほ」は炎の「ほ」、穂先の「ほ」で一番出たところ。すぐれたところ。秀も「ほ」と読みます。「ろ」は状態を示す接尾語ですぐれたありさまをいっています。「ば」は場所です。
 岐阜県垂井市の公民館の応接間に、宇宙飛行士の毛利衛(もうり まもる)さんの「地球まほろば」と書かれた色紙が掛けられていました。おそらく毛利さんには、宇宙から眺めた地球が、どの星よりも美しく見えたのでしょう。地球には酸素があり、水があります。まさしく地球こそが「まほろば」です。宇宙から眺める地球には国境がありません。
 しかし、その「まほろば」であるべき地球上では国境があり、国と国、民族と民族が争っています。美しい空気や水が汚染されつつあります。それらはみな人間の仕業です。他の生物から人間をみれば、怪獣か地球環境を破滅に追い込む癌細胞のように見られるでしょう。
 今の日本は、無限の欲望をもつ人間の心をいかに抑制するか。物の豊かさに匹敵するまで、心の豊かさをいかにレベルアップするかが求められている時代です。
 地球を「まほろば」にするためには、「まほろば」の心づくりから始めることが大事だと思います。
  そこで十種の「まほろば」の心を提案しています。

一、 慈悲の心  与楽(よらく)・抜苦(ばっく) 利他行(りたぎょう)
二、 感謝の心  あり難い 勿体(もったい)ない おかげ様
三、 謙虚な心  人を立てる 無我 恥を知る
四、 敬いの心  神仏や自然への畏敬        親や師への敬意
五、 空(くう)の心  寛容 赦(ゆる)し 忍耐
六、 喜びの心  明るさ 楽しさ
七、 信ずる心  素直さ 祈り
八、 浄らかな心 不邪念 不疑 不貪欲(ふとんよく)
九、 和の心   やわらぎ 睦(むつ)み 友好 不瞋(ふしん)
十、 禅定(ぜんじょう)の心  やすらぎ 寂静(じゃくじょう) 穏やか

 こうした心を一人一人が持っていただければ、社会環境も少しは良くなるのではないかと思うのです。
 宗教の教義や教理を勉強することも大事ですが、人格形成をすることが最も大切です。「修身(しゅうしん)・斉家(せいか)・治国(ちこく)・平天下(へいてんか)」というように、「まほろば」も自分の心の充実から始めて、その心で我が家を・我が寺を・我が地域を・我が町を・我が市を・我が県を・我が国を・我が地球をというように「まほろば」を広げていければと願っている昨今です。