阿弥陀如来についての素朴な疑問
浄土真宗本願寺派布教師、なあむ・サンガスタッフ  七里 順量(しちり・じゅんりょう)
(2001年『大法輪』9月号より抜粋)

 
 
Q: 阿弥陀さまは本当にいるのですか?

A: 最初から核心の質問ですが、「います」。理由は簡単、お釈迦さまがいると証してくださったからです。仏伝を信じ、悟った方の言葉に従ったのが仏教です。我々は科学の力を過信しすぎて育ちます。特に近年、全てを科学の解明に頼って人生を解釈しようとしすぎてはいないでしょうか。阿弥陀さまはいつでもどこでも誰にでも、いつも一緒にいらっしゃいます。


Q: では阿弥陀さまはどこにいるのでしょう?

A: 仏説(釈尊の説かれた経)によれば「これより西方、十万億の世界を過ぎて世界あり、現に阿弥陀ましまして今なお教えを説きたもう」とあります。西の方向へ十万億の仏の世界を通り越した彼方に阿弥陀さまの世界があり、そこにいるのです。これは夢幻でしょうか? 地球は丸いし、宇宙の広さは百五十億光年と解明されているので、無理があるように感じる方も多いのではないでしょうか。宇宙空間で西という方角は意味を持ちませんし、ボイド構造の解明に従事している宇宙論の中では宇宙の果ての向こう側は論じる素養すら持ちません。
 しかし、いくら地球が丸いといっても本当に丸い状態を見た人はほんの一握りでしかありません。頭で解っている人が殆どです。でも私が見たものは全部正しいのでしょうか? 見たものが本当の真実とすれば、私が一生涯で見ることのできるものは限られたものでしかありません。私たちは自分の顔すら見たことがありません。鏡に映った顔を知り、写真やビデオに写った自分を見ることはあっても間接でしかないのです。
 本や情報を鵜呑みに真実とすることほど愚かなことはありません。現代においてIT革命と表現されていますが情報の全てを信じることの恐ろしさはままあります。直接自分の顔を知らない私が、世界の全てを知るはずはないのです。「唯信仏語(ゆいしんぶつご)」は仏教の基本。科学は衆生の論理、仏国は真実を知った者が示した世界で良いのではないでしょうか。


Q: 阿弥陀さまを拝んだら何かいいことがありますか?

A: 阿弥陀さまを拝むことは大変いいことです。もうすでに救われている喜びの念仏です。神仏を拝む理由は人それぞれでしょう。中にはお金儲けや健康や何かの成就を願う人もいるでしょう。また苦しいときの神頼み的に困ったことの解決のために拝むケースもあるのでしょうか。確かに神仏に願うことにより、より一層の決意が固まるとか、悩みの本質がより明らかになり問題解決に向かって邁進できるといった効用があるのでしょう。
 人間の悩みや欲望の根本は煩悩であり、悩みや苦しみはすべて自らによって作りだされる。この世は無関係にて存在するものはなく、関わりを持ち縁とつながっています。自ら行い作りつないだ業は仏菩薩でもこれを代わることはできないのです。
 阿弥陀さまに手を合わせるとは、こうした身勝手な私に気づくことなのです。ご存じの通り、阿弥陀さまは何か願い事を受け付ける仏さまではありません。人間の欲望に満ちた願いは、より一層の煩悩を発生させます。困難や苦しみ悲しみを神仏に頼み込んでクリアーしようとする事は全く私の身勝手です。
 阿弥陀さまの御利益は入正定聚(にゅうしょうじょうじゅ)です。今ここでこの私が仏に向かっての人生を歩んでいることを喜び、もうすでに阿弥陀さまの大きな関心の真ん中にあり、私の存在価値を最大限に認めてくれます。今ここでこの私が出合う喜び、拝むその声南無阿弥陀仏。