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 お釈迦さまについての疑問
元武蔵野女子大学教授  花山 勝友(はなやま・しょうゆう)
(大法輪閣刊『大法輪選書 仏教の疑問に答える』より)
1. お釈迦さまは実在したか
2. お釈迦さまの呼び名とその意味
3. なぜ豊かな生活を捨てて出家したか
4. どんな修行をしたか
5. 何を悟ったのか
6. 何を説いたのか
7. どんな生活をしていたか
8. 現在どんな国で仏教が盛んか

 1. お釈迦さまは実在したか
"仏伝"とよばれている釈尊の伝記には、あまりにも潤色された伝説的物語が多く、しかも相互に矛盾するような記述が少なくなかったために、長い間、この人物の実在性が疑われていたことは事実である。
 しかしながら、19世紀末の西洋の学者の手による遺跡の発掘や、東西の多くの学者による文献学的研究の結果、現在では、その実在性を疑うものは皆無であるといってよかろう。
 しからば、お釈迦さま、と日本で通称されている人物は、いかなる生涯を、いつ頃、そしてどこで送ったのであろうか。できるだけ伝説的要素を除いて、史実らしいと思われる部分を、経典の記述から取り出してみると、およそ次のようになると思われる。
 西暦紀元前6〜4世紀頃、すなわち、今からおよそ2500年ほど前に、北インドにあったカピラバストという一小国の王子として、シュッドーダナ王と、妃マーヤー夫人の間に誕生した。
 シッダールタ(悉達多=しつだった)と名づけられたこの王子は、やがて成長して従妹のヤショーダラーと結婚し、一子ラーフラを設けたが、この世の無常なることに思い至り、29歳の時に、城を出て一出家者となり、その後6年の間、当時の有名な修行者や仙人を訪れるが、彼等の教えに満足できず、一人ナイランジャナ河のほとりで瞑想にふけった。
 大乗仏教の伝統的所説によると、35歳の12月8日の早朝に、この世の真理に気がついて、「めざめた者」としての仏陀(ぶっだ)の境地に到達したという。
 それ以後80歳で亡くなるまでの45年の間、自らが悟った教えの内容を、インドの諸地方を遍歴しながら、多くの人びとに説き続けたのであり、その教えの内容が後に、弟子達によって、経典という形に編纂された、と信じられている。

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 2. お釈迦さまの呼び名とその意味
 日本人は、仏教の開祖であるこの人物を、親しみをこめて"お釈迦さま"と呼んでいるのであるが、これは、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)という呼び名の上二文字をとって、上下に敬称をつけただけのものなのである。
 釈迦というのは、この人が出身した種族の名であり、牟尼というのは、聖者・智者といった意味の言葉であり、そして、仏はもちろん仏陀の省略であるから、釈迦牟尼仏というのは"釈迦族出身の聖者で、この世の真理にめざめた者"といった意味になるだろう。
 このお釈迦さまは、「仏の十号」などといって、経典の中ではさまざまな呼び方がなされている。その中でも、一般的には「釈尊」と呼ばれることが最も多いと思われる。これは、釈迦牟尼世尊を省略したもの。「世尊(せそん)」というのは、この世における尊いお方といったことで、仏陀に成った者に対する尊称である。

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 3. なぜ豊かな生活を捨てて出家したか
 たとえ小国であろうとも、たった一人の王子として生まれたシッダールタが、物質的・経済的に豊かな毎日を送っていたであろうことは想像に難くないし、将来その国を統治する王として国民が期待していたであろうことも事実であったと思われる。
 一説によると、もともと思慮深かったシッダールタは、何とかして出家して人生に対する疑問を解決しようと考えていたが、後継者としての責任感から我慢をしていた。ところが、ラーフラと名づけられた男の子が誕生したので、父の国の継承者ができたと安心して出家した、といわれているが、常識的に考えると、わが子の誕生は、かえって出家のためには障害になるともいえる。
 四門出遊(しもんしゅつゆう)とよばれるエピソードが、シッダールタに、この世の老・病・死を気づかせ、これこそが出家の直接の原因となった、ともいわれるが、これは後になっての理由づけであって、この物語そのものが作り話のようにも思われるのである。
 それよりも、生まれてわずか七日目に生母であるマーヤーを失ったことが、後になって大きな影響を与えることになったのではないだろうか。すなわち、もの心のついた時にはすでに実母がいなかった、という事実が、シッダールタの幼な心に大きな影をおとし、なぜ人は自らの意志とは無関係に死ななければならないのか、自分は、母を失わなければならないようなどんな悪いことをしたのか、といった疑問につながっていったのではないだろうか。
 同時に、当時のインドにおける国家群の弱肉強食的な闘争が、経典においては小鳥が虫をついばむ、という物語で象徴されているのであるが、互いに殺し合わなければならない人間世界の矛盾が、この思いやり深い王子に、そのまま王の位につくことを許さなかったのではなかろうか。
 いずれにせよ、たった一つの原因ではなくして、さまざまな要素が重なりあって、ついに29歳の若き王子をして、城も国も家族をも、そして将来の地位も名誉をも捨てさせたのであったと思われる。

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 4. どんな修行をしたか
 釈尊自身が、後になって、
「過去のいかなる修行者も、そして現在のいかなる苦行者も、さらには、未来のいかなる出家者も、私自身がなした苦行以上の苦行をしなかったし、またしないであろう」と告白していることからすると、その実態は、恐らく想像を絶するような苦行であったと思われる。
 それは、単なる肉体的な苦行だけではなくして、国家や家族をも捨てたことに対する、精神的な苦痛、さらには、悪魔の誘惑という物語で象徴される、外界からのさまざまな誘惑に対する精神的動揺も含まれる。
 肉体的苦行としては、現在でもインドの修行者たちが行っている、肉体をさまざまな方法によって痛めつけることのほかに、断食・断水といった、自餓・自渇と呼ばれるものも含まれていたのである。だからこそ、まさにその苦行中は、血は流れ、肉は飛び、骨は砕けるほどの苦闘であったと同時に、村娘スジャーターから施された乳糜(にゅうび)を受けて何とか瞑想に入ることができたほど、飢えと渇きとによって衰弱していたのであった。
 やがてこのような苦行は、出家以前の享楽的生活と同じように、両極端の一端にしか過ぎないことに気がついたシッダールタは、ついに苦行を捨てて、後に菩提樹と呼ばれるようになった一本の木の下に端坐して、静かな瞑想に入ったのである。
 したがって、この最後の修行の方法を、後になると、両極端を否定したところから生ずるという意味から「中道(ちゅうどう)」と呼ぶようになったのである。

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 5. 何を悟ったのか
 悟るということは、易しく言えば、気がつくとか、めざめるといったことであろうが、仏教においては、この言葉がしばしば用いられている。
 もっとも、この言葉を名詞として用いた場合には、"悟りを開く"ということになって、その中に内容までが含まれているように思えるのであるが、それでは、お釈迦さまが悟ったといわれる、その悟りの内容とは何であったのであろうか。
 一言でいえば"この世の真実"ということになるであろうが、これを具体的な形で表現するとすれば、次項に述べる四諦・八正道をはじめとする、膨大な教えとなるわけであり、極端にいえば、悟りを開いてから後に、45年間かけて説いた釈尊の教えこそ、すべて悟りの内容なのである。したがって、それを知ろうとすれば、仏教の経典をひもとく必要があることになる。

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 6. 何を説いたのか
 すでによく知られているように、お釈迦さまの説法の基本は、四諦(したい)と呼ばれる四つの真理であり、三法印(さんぼういん)とか四法印と呼ばれる、三つとか四つの立場であった。
 まず四諦というのは、この世が苦であるとする苦諦(くたい)、この世が苦であるのは原因があるからであるとする集諦(じつたい)、その苦の原因をなくそうとする滅諦(めったい)、そして、そのための具体的な八つの方法である八正道を総称するものとしての道諦(どうたい)、という四つである。
 この世はまことにさまざまな苦しみに満たされているということを、具体的に示したものが四苦八苦である。四苦とは生・老・病・死(しょう・ろう・びょう・し)、そして八苦とは、この四苦に、愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとっく)・五蘊盛苦(ごうんじょうく)の四苦を加えたものである。
 なぜこの世が苦であるかというと、それは人間に渇愛(かつあい)と呼ばれる根本的な欲望があるからであって、それさえ滅することができれば、この世から苦しみはなくなるのである。その方法こそが、正見(しょうけん)・正思惟(しょうしゆい)・正語(しょうご)・正業(しょうごう)・正命(しょうみょう)・正精進(しょうしょうじん)・正念(しょうねん)・正定(しょうじょう)という八つの正しい道であることになる。
 次に三法印であるが、諸行無常(しょぎょうむじょう)・諸法無我(しょほうむが)・涅槃寂静(ねはんじやくじょう)という三つの考え方で、これこそが、仏教という宗教の特徴となっているわけである。この三つに、一切皆苦(いっさいかいく)を加えて四法印と呼ぶこともある。
 この世のあらゆる存在と現象とが常に変化し続けていることが無常ということなのであるが、それは、それぞれの存在や現象に、実体としての我(が)がないからなのである。このように無常であり無我であるのに、そのことに気がつかないで執着するものだから、一切が皆苦しみ、ということになる。
 したがって、そういった苦の原因となるべき無常・無我なる存在や現象を超越した時に、初めて人間は本当の静けさに到達できるのであって、これを涅槃寂静といっている。

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 7. どんな生活をしていたか
 まず間違いがないと思われることは、後に三学とよばれるようになった、三種類の実践行を中心とした生活が行われていたであろう、ということである。
 三学というのは、日常生活における規則としての戒律、精神集中の方法としての禅定(ぜんじょう)、そして真実を見通す洞察力としての智慧、のことである。
 戒律というのは、初めから一定の数のものが作られていたわけではなく、必要に応じて作られていったのであるが、基本的なものとしては、後になると在家信者にも守られるようになってくる五戒なのである。
 五戒というのは、不殺生戒(ふせっしょうかい)、不偸盗戒(ふちゅうとうかい)、不邪淫戒(ふじゃいんかい)、不妄語戒(ふもうごかい)、不飲酒戒(ふおんじゅかい)のことであるが、この中の不邪淫戒は、出家者の場合は不淫戒になるので、当然ながら結婚することは許されていなかった。
 不殺生戒は特に重視されたようで、雨期の間は、たとえそれが宗教活動であろうと、外出が許されなかったのは、生き物の生命を奪う可能性があったからなのである。
 出家者は、自らが生きるための労働を許されていなかったので、すべての生活必需品は、在家信者からの布施(ふせ)によってまかなっていたが、毎日の食事を得るために、早朝の乞食(こつじき)が行われたのである。この食事は、午前中に限って許されており、正午過ぎには、いかなる固型食物も摂取できなかった。
 禅定(ぜんじょう)というのは、坐禅という言葉に象徴されているように、現在では坐るという方法が最もよく用いられているが、何事をする場合にも、精神の統一が要求されたのである。
 そして最後の智慧こそが、お釈迦さまの教えを学ぶことであり、したがって、教えを読誦し、意味を考え、しかも、その教えを実践する努力をしていたわけである。
 このように、お釈迦さまの教団における毎日の生活の中心は、あくまでも自分自身の解脱(げだつ)のための実践にあったわけであるが、乞食行(こつじきぎょう)が同時に信者たちに功徳を積ませることでもあったように、一般在家信者に対する働きかけも行われていた。
 すなわち、信者の自宅に招かれて食事の供養を受け、そこで教えを説くということも行われていたのである。
 ちなみに、後代の仏教教団にみられるような、信者のための死者儀礼は、恐らくお釈迦さまの教団ではまったく行われていなかったと思われる。

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 8. 現在どんな国で仏教が盛んか
 仏教を大きく二つに分類すると、南方仏教と北方仏教とになる。
 南方仏教というのは、日本で小乗仏教と呼んでいる流れだが、これは大乗側からの勝手な呼び方であって、彼等自身は、テーラワーダ(上座仏教=じょうざぶっきょう)と呼んでいるので注意してほしい。
 上座仏教国としては、タイ・スリランカ・ビルマの三国があり、国民の大多数が仏教徒である。これら三国のほかに、ラオス・カンボジア・ベトナムは、最近までは南方仏教国であったが、現在の状態は不明である。(ただしベトナムの仏教には大乗仏教の要素が含まれていた。)
 かつては盛大な上座仏教国であったインドネシアには、現在は僅かの仏教徒と遺跡だけが残っているだけだが、マレーシア・シンガポールなどでは、現在でも結構盛んである。
 北方仏教国、すなわち大乗仏教国と呼べるのは韓国・日本、そして台湾ぐらいなものであろう。もっとも、日本に関していえば、単に統計上の仏教国ということになろうが。
 かつては一大仏教国であった中国では、果たしてどの程度仏教の信仰が残っているのか不明であるし、同じことは、中国の自治区になっている多くの国々についてもいえる。
 問題になるのは、お釈迦さまが活躍し、そして仏教という宗教が創始されたインドは、長い間、イスラム教の侵入によって完全に姿を消していた仏教であったが、第二次大戦以後、新仏教徒運動が興って、社会における最下層階級の人びとの何百万人かが仏教徒となっているのである。
 その他、中国人が華僑として出かけていった国々では、道教と混淆した仏教が現在でも残っているし、同じことが日本人の移民の場合にもあてはまり、南北両アメリカにおいては、日本の仏教宗派が、主に日系人たちの手によって依然として盛んに信仰されているのである。

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