  |
| 1. 煩悩(ぼんのう)とは何ですか |
|
「煩悩」というのはサンスクリット語のクレーシャ、パーリ語のキレーサの翻訳です。本来「悩ます、苦しめる」という語からつくられたことばであり、煩悩のほかに「惑(わく)」、「結(けつ)」、「結使(けっし)」などという訳語があります。
それならば煩悩とは一体どのようなものなのでしょうか。「煩悩の犬は追えども去らず」ということわざがある位ですから、煩悩は常に人間にまつわりつき、離れることがないということはおよそ想像がつきます。
ひとつ例をあげてみましょう。仮りに私がことのほか数学が苦手であったと仮定しましょう。ただでさえ苦手ですから、当然数学がきらいで、できればそれを勉強せずに学校を卒業したいものだと常に考え、事あるごとに数学の授業を避けようとしています。ところがあした数学の試験があり、どうしてもそれを受験しなければなりません。しかしきらいな科目ですからふだんも勉強しないし、あしたの試験など、良い点がとれるどころか、落第点しか取れないのが目に見えています。「ふだんもっと数学を勉強しておけばよかったなあ」と思っても、もうあとの祭りです。「あーぁ、うまく病気にでもなれば、あしたいやな試験を受けなくてもすむのになぁ」とくよくよ考えつづけていると、本当に翌朝熱が出て体の調子が悪くなってしまった。こんな経験をした人もあるのではないでしょうか。私にも実はあるのです。
いやな試験に思いを馳せ、くよくよと思い悩む、これを煩悩に当てはめるとよくわかります。煩悩とはこのように人を思い惑わせ、悩ませる心の働きといってよいと思われます。ですから貪(むさぼ)り(貪=とん)、憎しみ(瞋=じん)、真理に暗いこと(癡=ち)などもこの中に当然含まれます。そして、先ほどの例の中で、心の悩みが身体にまで影響を与えて、とうとう本当に発熱して体調を崩してしまったように、煩悩は身体やそれが行う行為にまでも影響を与え、その人を苦しみの存在に拘束すると考えられるのです。
仏教では伝統的にこのような煩悩を細かく分析し説明しています。煩悩の数も種々な数えかたがあって、それにより多くの数があげられます。ここでは煩雑になるのであえてその数えかたには触れませんが、俗に108という数をそれに当てたりします。108の煩悩の数えかたについても諸説がありますが、古代インド一般に、八はきわめて神秘的な数で、しばしば10、100、1000などのラウンド・ナンバーに加えられて、(すなわち18、108、1008など)「多数」、「無数」を表わすということを付記しておきたいと思います。
文=大正大学教授 松濤 誠達(まつなみ・よしひろ) |
|
  |