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| 1.なぜ宗派がいろいろあるのか |
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よく、私の家は真宗であるとか、日蓮宗であるとか聞く。ところが、よく考えてみると、仏教は釈尊によって開かれた宗教で、釈尊が生きておられた時代には宗派というものはなかったはずである。しかしながら、それが、中国、日本へと伝えられ、2500年もたつと、無数の宗派というものが誕生するに至っている。当然のこととして、なぜ宗派が誕生してきたのかという素朴な問いが出てくる。
その答として二つのことが考えられる。まず、釈尊が多くの人々に、その能力に相応して教えを説いたために、いろいろな宗派が起こったのではなかろうかということである。人の顔形というものが、すべて異なるごとく、人の能力も異なっている。ある人はAということで理解し納得したとしても、別の人は理解できないこともある。そのため、釈尊はその人の能力に応じて説く、いわゆる対機説法(たいきせっぽう)をしたわけである。このことが後に、私は釈尊からこう教えを聞き理解した、また、別の人はそうではなく、別のごとく聞き理解したとなり、そこから自然のなりゆきとして、各々の立場を主張する宗派が誕生してきた、と見ることができるのである。
もう一つは、仏教には八万四千の法門等といって無限に近い教えがあるが、その中から人々が自らの個性に最も合致した教えを取り出したために、いろいろの宗派が起こったのではなかろうか、ということである。
このように宗派誕生の原因について、二つの方面より見ることができるが、基本的には一つの原因によって起こっていることが知られる。というのは、両者とも、その考え方の背後には、人の能力とか性格、あるいは持味によっていろいろな教え、すなわち宗派が起こっているという考え方があるからである。
つまるところ、宗派とは、本来的には、その人が悟りの世界に行くために、最もふさわしい教えを求めたところに誕生したわけで、悟りの世界に至れば、それは全く消滅してしまうものといえる。いずれにしても、山頂に至るのにいろいろの道があるごとく、悟りの世界に至る道も、その人の能力とか性格により異なった道があるということである。(由木義文) |
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