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 宗派についての疑問
慶應義塾大学講師  由木 義文(ゆうき・よしふみ)
立正大学教授  渡辺 宝陽(わたなべ・ほうよう)
(大法輪閣刊『大法輪選書 仏教の疑問に答える』より)
1. なぜ宗派がいろいろあるのか
2. 日本にはどんな宗派があるか
3. 東大寺や薬師寺は何宗か
4. 天台宗とは
5. 真言宗とは
6. 浄土宗とは
7. 浄土真宗とは
8. 東本願寺と西本願寺の由来
9. 禅宗とは
10. 臨済宗と曹洞宗の違い
11. 日蓮宗とは

 1.なぜ宗派がいろいろあるのか
 よく、私の家は真宗であるとか、日蓮宗であるとか聞く。ところが、よく考えてみると、仏教は釈尊によって開かれた宗教で、釈尊が生きておられた時代には宗派というものはなかったはずである。しかしながら、それが、中国、日本へと伝えられ、2500年もたつと、無数の宗派というものが誕生するに至っている。当然のこととして、なぜ宗派が誕生してきたのかという素朴な問いが出てくる。
 その答として二つのことが考えられる。まず、釈尊が多くの人々に、その能力に相応して教えを説いたために、いろいろな宗派が起こったのではなかろうかということである。人の顔形というものが、すべて異なるごとく、人の能力も異なっている。ある人はAということで理解し納得したとしても、別の人は理解できないこともある。そのため、釈尊はその人の能力に応じて説く、いわゆる対機説法(たいきせっぽう)をしたわけである。このことが後に、私は釈尊からこう教えを聞き理解した、また、別の人はそうではなく、別のごとく聞き理解したとなり、そこから自然のなりゆきとして、各々の立場を主張する宗派が誕生してきた、と見ることができるのである。
 もう一つは、仏教には八万四千の法門等といって無限に近い教えがあるが、その中から人々が自らの個性に最も合致した教えを取り出したために、いろいろの宗派が起こったのではなかろうか、ということである。
 このように宗派誕生の原因について、二つの方面より見ることができるが、基本的には一つの原因によって起こっていることが知られる。というのは、両者とも、その考え方の背後には、人の能力とか性格、あるいは持味によっていろいろな教え、すなわち宗派が起こっているという考え方があるからである。
 つまるところ、宗派とは、本来的には、その人が悟りの世界に行くために、最もふさわしい教えを求めたところに誕生したわけで、悟りの世界に至れば、それは全く消滅してしまうものといえる。いずれにしても、山頂に至るのにいろいろの道があるごとく、悟りの世界に至る道も、その人の能力とか性格により異なった道があるということである。(由木義文)

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 2.日本にはどんな宗派があるか
 日本にみられる宗派は、大きく分けて、主に三つの時代に成立している。まず、奈良時代に六つの宗派が成立している。いわゆる南都六宗といわれるもので、三論宗(さんろんしゅう)・法相宗(ほっそうしゅう)・成実宗(じようじつしゅう)・倶舎宗(くしゃしゅう)・律宗(りつしゅう)・華厳宗(けごんしゅう)である。次に、平安時代になり天台宗と真言宗が成立している。さらに。鎌倉時代になり、中国の仏教思想や比叡山の仏教思想などの影響のもとに、主に六つの宗派が成立している。それらは、浄土教にかかわるものとしての浄土宗・浄土真宗・時宗、禅にかかわるものとしての臨済宗・曹洞宗、『法華経』の思想にかかわるものとしての日蓮宗である。いずれにしても、日本の宗派は、主として奈良時代に六宗、平安時代に二宗、鎌倉時代に六宗成立しているのである。(由木義文)

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 3.東大寺や薬師寺は何宗か
 東大寺や薬師寺は、南都六宗に属するもので、東大寺は華厳宗、薬師寺は法相宗である。さて、しからば南都六宗とはどんな宗派か。

三論宗=これは高句麗の恵灌(―681)により伝えられたもので、龍樹(りゅうじゅ)の著『中論(ちゅうろん)』、『十二門論(じゅうにもんろん)』、提婆(だいば)の著『百論(ひゃくろん)』の三論をその教えの中心に置き、一切はすべて空であるという立場を主張している。奈良時代には大安寺・元興寺で教えが修学されたが、現在は教団としての形をとっていない。

法相宗=これは道昭(629―700)が入唐し、日本に伝えたもので、護法の著『成唯識論(じょうゆいしきろん)』を教えの中心に置き、一切のものはわれわれの心の究極にある阿頼耶識(あらやしき)の現われたものであるという立場を主張している。奈良時代には元興寺などで教えが修学された。法隆寺、興福寺、薬師寺がこれに属し、教えを伝えている。

成実宗=これは百済(くだら)の道蔵により伝えられたもので、詞梨跋摩(かりばつま)の著『成実論』をその教えの中心に置き、独自な空の思想を主張している。奈良時代には、この教えが三論宗に近かったところより、それに関係する寺で研究されたらしい。

倶舎宗=これは法相宗の付宗といわれ、世親(せしん)の著『倶舎論(くしゃろん)』を教えの中心に置き、一切は実在(有)であるという立場を主張している。法相宗の寺で研究されていた。

律宗=これは鑑真(がんじん)(687―763)により伝えられ、主に『四分律(しぶんりつ)』に基づいた戒の修学を教えの基礎に置いている。現在まで、この宗は唐招提寺を中心として伝えられている。

華厳宗=これは新羅(しらぎ)の審祥(しんしょう)を日本の初代とし、良弁を宗祖(二祖)として『華厳経』や中国華厳宗の法蔵(ほうぞう)(648―712)などの著作を教えの中心に置いて成立している宗である。教えの特徴として、重々無尽、相即相入の毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)の世界が挙げられる。この宗は東大寺を中心にして、現在に伝えられている。

 以上、南都六宗の概要であるが、これらは教団という性格より、むしろ仏教の教理研究の集まりといった性格が強く、鎌倉時代の宗派とは「宗」の意味内容が相違しており、留意される。(由木義文)

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 4.天台宗とは
宗祖=最澄(767―822)
本山=比叡山・延暦寺

教え=天台宗という宗は、隋の天台大師・智(ちぎ)(538―597)により大成されたものである。智の著作として代表的なものとしては、『法華玄義(ほっけげんぎ)』、『法華文句(ほっけもんぐ)』、『摩訶止観(まかしかん)』がある。
 最澄はこの智の思想を受けて、日本に天台宗を成立させたわけである。その教えには、理論的な面と実践的な面がみられる。
 まず、理論的な面では、だれでもすべて成仏することができると主張している。これは『法華経』の思想に基づいているわけで、一乗思想といわれている。さて、だれでもすべて成仏することができると主張するが、その根拠は何かということが問題として出てこよう。これに対して最澄は、すべての人は仏になる種(仏性=ぶっしょう)を持っているからだとしている。これを経文により示せば、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしうぶっしょう)」(『涅槃経』)→「一切衆生悉皆成仏(いっさいしゅじょうしっかいじょうぶつ)」ということになる。
 次に、実践的な面では、純粋に天台宗の教えを実践する止観(しかん)業と、密教を実践する遮那(しゃな)業とが説かれている。このほかに、『梵綱経』に基づいた菩薩戒を受けることも強調されている。
 このように見てくると、最澄の天台宗の教えとは、だれでも成仏することができる教えということができる。また、この四種三昧にみられるごとく、天台宗には『法華経』の思想、浄土教の思想、禅の思想、密教の思想などが融合してあったことが知られる。そして、このことが、鎌倉時代の諸宗成立の淵源にもなっているのである。(由木義文)

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 5.真言宗とは
宗祖=空海(774―835)
本山=高野山・金剛峯寺(現在高野山真言宗)ほか

教え=真言宗という宗は、『大日経』、『金剛頂経』などの密教経典に基づいて成立している宗である。
 空海はこれらの経典の思想に基づき、『三教指帰(さんごうしいき)』『十住心論』『弁顕密二教論』『即身成仏義』『声字実相義』などを著わしている。
 空海によれば、この世界(宇宙)は物質的なものである地大(ちだい)・水大(すいだい)・火大(かだい)・風大(ふうだい)、空間である空大(くうだい)、精神的なものである識大(しきだい)より成っているとしている。ところがこの世界は、そのまま大日如来の世界であるともしている。すなわち、宇宙=大日如来という考え方がみられる。このことは、宇宙の一部である私たち人間も大日如来であるということになる。当然のこととして、水の音、鳥の声など、ありとあらゆるものも大日如来の働き、命ということになる。ところが、現実の私たちは迷っているために、そのことを知らない。このことを知らしめ、私たちも大日如来の命を生きていることを実感させる方法として、三密加持(さんみつかじ)という行法が説かれる。
 三密とは大日如来の深淵な身業(身体的な働き)、口業(言語の働き)、意業(心の働き)のことである。一方、人間にも身・口・意の三業の働きがある。そして、人が手に印契(いんげい=仏の悟りの内容を具体的な形にしたもの)を結び、口に真言(しんごん=仏の真実の言葉)を唱え、心に大日如来のことを念うと、それにこたえて、大日如来が行者の心の中に現じ、かつまた行者が心の中に仏を感ずることができ、遂には大日如来と一味の境地に至ることができるとしている。
 以上のような空海の考え方に基づいて、真言宗は成立しているわけであるが、後に豊山派や智山派といった分派が多く成立するに至っている。(由木義文)

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 6.浄土宗とは
宗祖=法然(1223―1212)
本山=知恩院ほか

教え=唐の善導の『観経疏』の中の「一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥に時節の久近を問はず、念々に捨てざるを、是を正定業と名づく、彼の仏の願に順ずるが故に」の一文にヒントを得て、法然は専ら口に「南無阿弥陀仏」を称え、救われるという専修念仏の教えを確立し、浄土宗を開いている。
 法然が自らの思想を著わしたものとして『選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)』がある。この中に、専修念仏の教えが明瞭に説かれている。「速く生死を離れ、救われるためには、難行の道である聖道門をさしおいて、易行である浄土門を選びなさい。浄土門の中でも、雑行を捨て、正行を選びなさい。正行とは『浄土三部経』の読誦、極楽浄土のあり様の観察、阿弥陀仏を礼拝すること、仏の名を称えること、仏を讃歎することである。これらの正行中、正定の業である仏の名を称える称名を専らにしなさい」と。さらに、同書の他のところには、「仏像を造ること塔をたてることなどは、往生するための条件とはならない。ただ称名の一行だけである」とも説かれている。
 このように見てくると、法然の教えは、ただ、一生懸命、南無阿弥陀仏と称えなさいということになり、事実、法然自身、一日何万遍という念仏を称えている。
 一方、すべての行から称名念仏の行を選びとった法然であったが、逆にまた、念仏の行の助けとなるもの(助業)を認めている文も見られる。
「この世をすごすありようは、念仏の称えられるようにしなさい。念仏を称えるさまたげになれば、それらをすてて、念仏をしなさい。聖で念仏を称えることができたいなら、妻をもうけて称えなさい。妻をもうけて称えることができないなら、聖で称えなさい。一ヶ所に定まって称えることができないなら、場所をかえて称えなさい。場所をかえて称えることができないなら、家にあって称えなさい。(中略)一人で称えることができないなら、同朋と共に称えなさい。同朋と称えることができないなら、一人籠居して称えなさい。衣食住の三は、念仏をするための助けである。これは自らが安穏に、念仏往生するための助けである」(「禅勝房伝説の詞」)と。
 ここには、念仏が称えることができるようになるのであれば、一切の助業も認めるという考え方の萠芽を見ることができる。このような寛容な側面もあったため、専修念仏を宗の基本にしている浄土宗に漸次、専修念仏以外の要素が入り、現在の教団では、ダラニ信仰、造塔、施餓鬼会などが行われるようになったと考えられるのである。(由木義文)

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 7.浄土真宗とは
宗祖=親鸞(1173―1262)
本山=西本願寺(本願寺派)、東本願寺(大谷派)ほか

教え=「たとえ法然上人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ」(『歎異抄(たんにしょう)』)とあるから、親鸞の教えは、法然のそれと同じことが知られる。つまり、親鸞の教えも、口に「南無阿弥陀仏」を称える専修念仏であることが考えられる。
 ところが、実際には、口に南無阿弥陀仏を称えるというより、むしろ、阿弥陀仏を信ずる「信心」というところに教えのウェイトが置かれている傾きが見られる。このことは、「如来の救ってくださるという誓いを信ずる心が定まるというのは、如来の人々を摂め取って、決して救われないことがないということによって、仏となる身から退くことがない位に定まるということである。真実の信心が定まるというのも、確固とした信心が定まるというのも、如来が人々を摂め取って、決して救わないことがない、ということがあるからである。だからこそ、最上のさとりに至る心が起こるといわれる。これを仏となる身から退くことがない位ともいい、浄土に生まれる身ともいい、最高のさとりに至るともいう。このような信心が定まることを知って、十方の仏たちは喜び、その心は仏たちの心と等しいのだと讃えている。このため、「まことの信心の定まる人を、諸仏と等しいといい、次の世に仏となって現われる弥勒と等しいともいうのである。」(『末燈鈔(まつとうしょう)』という文に見ることができる。
 「まことの信心」とは、阿弥陀仏の誓願を信ずる心の定まった時で、それはまた、諸仏と等しい状態であることが述べられ、「信心」が強調されている。ただ、親鸞の説く「まことの信心」とは、簡単にいえるものではないが、自らのはからいを離れた、阿弥陀仏によりもたらされた信心ということができる。
 このように徹底的に「信心」を強調した親鸞は、それ以外のものを徹底的に否定した。例えば、「かなしきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地祗をあがめつつト占祭祀つとめとす」(『正像末和讃』)という和讃にみられるごとく、諸天・諸神を礼拝すること、吉凶卜占をこととすること、良時吉日・方角を選ぶことを否定している。このように、法然ならば助業として認めそうなことも徹底的に否定し、ただただ「まことの信心」をいただいた時、救われるとしたのが親鸞の教えといえる。

 なお、ほかに浄土系の宗教として時宗と融通念仏宗がある。
 時宗は宗祖・一遍(1239―1289)、本山は遊行寺である。その教えは、親鸞が阿弥陀仏への信を強調したのに対し、一遍は阿弥陀仏への信があろうとも、なかろうとも、すべての人々は一遍の念仏で阿弥陀仏に救われるとした。
 融通念仏宗は平安末期に天台宗の中より誕生した宗である。宗祖・良忍(1072―1232)、本山は大念仏寺である。その教えは、南無阿弥陀仏と一人の人が称える念仏が、他の一切の人々の念仏に影響し、また、一切の人々の念仏が、一人の人の念仏に影響し、互いに融通し合いながら、阿弥陀仏に救われていくというものである。(由木義文)

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 8.東本願寺と西本願寺の由来
 京都の駅を降りると、東本願寺と西本願寺が同じようた容姿でならびたっている。事情を知らぬ人にはちょっととまどいを感じさぜる風景である。
 もともと浄土真宗は、親鸞(1173―1262)がその師である法然房源空の教えを純粋に信じ弘めようとすることから出発した。越後・関東・京都に門徒があったとはいえ、教団として再形成したのは蓮如(れんにょ)であるといわれている。蓮如(1415―1499)はほぼ一休禅師と同じ頃の人であるが、その門徒は、室町時代から戦国時代にかけての動乱期に生きる苦悩に悩む人々の間にひろがって行った。
 本願寺第11代顕如(けんにょ)(1543―1592)の時代には、本願寺の勢力は非常に増大した。今日においては、信仰は自己の内面、政治は国家の全体というふうに考えるのが常識となっているようである。しかし、本願寺門徒は、統一封建体制政権を樹立しようとする織田信長の軍門に下るのを潔しとしなかった。比叡山の焼打、日蓮宗への安土宗論以降の圧迫にみられるように、信長は宗教組織を壊滅しようとした。本願寺が石山(現在、大坂城のあるところ)にあるとき、信長はこれを攻め落とそうとし、門徒はこれに必死の抵抗を試み、1570年―1580年(天正8年)に至る10年間の争いとなったのである。天正8年正月、信長は時の正親町(おおぎまち)天皇の勅を仰いで本願寺に和議を申し込んだ。本願寺側は長い間の闘争に伴なう諸条件を前提に、これにどう対処すべきか苦慮し、第11代顕如とその子・教如との間に意見の相違を生じた。顕如は教如を義絶して信長と和睦し、一旦和歌山に引退するが、その後、豊臣秀吉のとき、京都七条堀川の現在の西本願寺の地に本願寺を再建したのである。
 ところが、まもなく顕如が示寂し、子・教如がその跡を嗣ぐと、内部葛藤が起こり、その弟・准如が改めて法嗣となった。それより10年後、慶長7年(1602)家康は教如に本願寺の東方に方四町の地を授け、ここに一寺が創建された。こうして、東・西本願寺がならびたつことになるのである。
 正式には、両寺とも本願寺といい、西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山、東本願寺は真宗大谷派の本山である。その宗義の基本はほとんど同じであるが、宗風には多少の違いがあるようにも見える。しかし、基本的には東・西本願寺の双立は封建体制確立期の時代の産物であるといえよう。
 なお、今日、本願寺派は「門信徒会運動」をすすめており、また、大谷派の「同朋会運動」は清沢満之(まんし)の近代化の思想を尊重し、故曽我量深の教学により宗祖親鸞の同朋の精神への回帰を図っている。(渡辺宝陽)

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 9.禅宗とは
 禅宗とは、坐禅というものを修行の中心に据える宗で、日本には鎌倉時代に成立した臨済宗と曹洞宗、それに江戸時代に成立した黄檗(おうばく)宗がある。

<臨済宗>

宗祖=栄西(1141―1215)
本山=建仁寺(現在臨済宗建仁寺派)ほか

教え=臨済宗という宗は、中国の臨済義玄(―867)の禅の思想に基づいて成立している宗である。特にこの宗では、看話禅(かんなぜん)というものが説かれた。これは、古人の遺した古則・公案(こうあん)というものを手掛りとして、悟りの世界に入るというものである。すなわち、一つの公案を透れば、また次の公案により、より深い世界へといった過程を通して、悟りの世界に入るものである。
 このような禅の思想を日本に最初に伝えたのが、一般的に栄西といわれる。

<曹洞宗>

宗祖=道元
(1200―1253)
本山=永平寺・総持寺

教え=
曹洞宗の曹洞とは、洞山良价(とうざんりょうかい)と、その弟子・曹山本寂の各々一字を取ってつけられたものといわれている。それゆえ、曹洞宗は思想的にはこれらの人々の流れより成立している。一方、曹洞宗の特徴は道元の『弁道話(べんどうわ)』の「宗門の正伝には、ひたすら伝えられてきた仏法は最上のなかの最上といわれている。参禅する初めより、さらに焼香・礼拝・念仏・修懺・看経(かんきん=経を読むこと)は必要としない。ただ坐禅して身心脱落すべきである」という言葉に見ることができる。ここにはただ坐り(只管打坐=しかんたざ)、悟りの世界に入っていく道元の曹洞宗の思想を見ることができる。(由木義文)

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 10.臨済宗と曹洞宗の違い
 臨済宗は武士階級に、曹洞宗は農民にその教団を展開したと一口にいわれる。

 臨済宗と一口にいうが、現在、臨済宗妙心寺派(以下、臨済宗を省略)、建長寺派、円覚寺派、南禅寺派、方広寺派、永源寺派、仏通寺派、東福寺派、相国寺派、建仁寺派、天竜寺派、向嶽寺派、大徳寺派、国泰寺派、興聖寺派の各派があり、寺院数は妙心寺派の3435を筆頭に、各派を合計すると6000余箇寺である。

 いっぽう、曹洞宗は、福井県の永平寺と、横浜市鶴見の総持寺を両大本山とし、寺院数は14696という大教団であり、修行機関としては本山僧堂・専門僧堂・専門尼僧堂30を擁している。
 もともと禅宗は達磨大師を初祖として中国仏教に大きな地歩を占めるに至ったが、唐の時代、第六祖の慧能(えのう)(638―713)の禅風が五大派に分派した。山田無文師は次のように言う。「同じ釈尊の自覚内容を伝承しながら、かくも宗派の分裂を呈したのは、その宗祖の個性の相違が、宗風の相違をきたしたものである。元来禅宗は、礼拝の対象である本尊を定めず、経典および教義を持たず、人間を宗旨の主体とするところに特徴がある。いつの時代でも法灯を嗣ぐ人間を中心とする伝統の宗教だからである」。

 臨済宗は、栄西禅師(1141―1215)が宋代の石霜慈明より相承を受けた黄竜の流れを汲む虚庵懐敞(こあんえじょう)に法を受け、建久7年(1191)わが国に帰って聖福寺・建仁寺を円・密・禅の三宗兼学の道場としたことに始まるという。鎌倉時代以後、武家の帰依により、幕府の庇護を受け、京都・鎌倉に五山・十刹の制がしかれるに至るのである。

 いっぽう、曹洞宗は道元禅師(1200―1253)が洞山第13世の嫡孫、天童如浄(てんどうにょじょう)の法を嗣ぎ、天福1年(1233)山城宇治に興聖寺を開き、のち越前の永平寺に住して大いに宗風を鼓吹したのである。そして、更に永平寺第四祖瑩山(けいざん)禅師が能登に総持寺を開き、やがて今日の曹洞宗へと展開して行く。

 両宗の違いは禅の修し方の違いということになろうが、それは結局、栄西禅師と道元禅師との違いということになるであろうか。臨済禅がひたすら公案によって高踏的な証悟の世界を求めるのに対して、道元禅師が天童如浄に会って清規・作務・食事の尊さを教えられたことは余りにも有名であるが、そのような点の違いがやがて後代に大きな影響をあたえているのであろうか。(渡辺宝陽)

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 11.日蓮宗とは
宗祖=日蓮(1222―1283)
本山=身延山・久遠寺(現在日蓮宗)

教え=
天台宗の中心の思想である『法華経』の思想を受けついで、日蓮は「南無妙法蓮華経」と唱えればすべての人々が成仏できるという教えを確立し、日蓮宗を開いている。
 日蓮は『観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)』の中で、「釈尊の因行・果徳の二法は、妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまう」と説いている。これは、釈尊の成就した悟りの世界のすべては、妙法蓮華経の五字の中にすべて含まれているというもので、「南無妙法蓮華経」と唱えれば、釈尊の悟りの世界が実現できるというものである。
 日蓮は『法華初心成仏鈔』で次のごとく説いれている。
「私たち衆生の仏性と、梵天・帝釈などの仏性と、舎利弗・目連などの仏性と、文殊・弥勒などの仏性と、三世諸仏の悟りの法が一つであるという真理を妙法蓮華経という。それ故、南無妙法蓮華経と唱えれば、すべての仏、すべての法、すべての菩薩、すべての神々、すべての衆生の仏性が、一音に顕われ、その功徳は大変大きい。私たちの心の妙法蓮華経を本尊とあがめて、私たちの心の中の仏性が南無妙法蓮華経と呼び呼ばれて顕われたところが仏である。籠の中の鳥が鳴けば、空を飛んでいる鳥が呼ばれて集まってくるようなものである。また、中の鳥も出てこようとするようなものである。口に妙法蓮華経と呼べば、私たちの仏性も呼ばれて必ず顕われる。梵天・帝釈の仏性も呼ばれて私たちを守り、また、仏・菩薩の仏性も呼ばれて悦ぶ」。
 いずれにしても、だれでも仏になれるという天台宗の思想を受けつぎ、口に南無妙法蓮華経を唱えれば、だれでも仏になれると説いたのが日蓮の教えといえる。(由木義文)

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