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ホーム > お知らせ > エッセイ 私の「縁は異なもの」 5

エッセイ 私の「縁は異なもの」 5

 

花屋さんの一言

 

 

 その花屋さんは、私か今娘の万里子と住んでいる中古のマンションから歩いて三十分のところにあった。散歩好きの私であるけれど、この春は、忙しいことが続いていた。最寄りのふたつの駅からも遠い花屋さんの方角へ、なかなかいくことができなかった。

 「あの花屋さんへいきたい」

 家で机に向かううちに頭が疲れてくると、決まってそう思うのである。静かな住宅街のはずれのバス通りに面した小さな花屋さんだった。ほっそりと上品な中年の男性が一人で、店をきりもりしていた。花はいくらか値が張る分、いつもみずみずしく長持ちがした。今年のお正月飾りの南天も、節分が過ぎる迄しっかりと赤い実が付いていた。

 春一番が吹く頃に、久しぶりにそのお店へいった。水仙を買うことにした。南天が長持ちしたことを話すと、

 「それはよかった」ご主人はそういってピンクの愛らしいばらを一本おまけしてくれた。仕入れもすべて、彼一人でやっている。花が元気を与えてくれるという。「でもこの頃大分疲れてきました」確かに少しやつれてみえた。私は心配になった。この方は、心の恩人であった。

 「いいお店ですもの。元気にお仕事なさって下さい」

 私は、花束が春の風に吹かれないように気を付けながら、ゆっくりと歩きだした。今度もあのことは話せなかったと心の中でつぶやいた。

 「ママ、綺麗な花だね」

 家に帰って花を花瓶に活けていると、この春高校を卒業してまもない娘の万里子がいった。「花より団子」の娘も、そんなことをいうようになっていた。

 「ところでお花屋さんに、あの時のお礼をいうことができたの?」

 娘の言葉にうつむいた。遠い日に花屋さんからいわれた言葉を彼女に話してから、まだ一年もたっていなかった。

 今から十八年前の春のことである。赤ん坊の万里子をベビーカーに乗せて、私はこの花屋さんの前を通り過ぎようとしていた。その当時も、今の住まいの近くに住んでいたのである。赤ん坊との散歩が何よりの楽しみだった。天気のよい日には、ついつい遠征することになった。最初のうちは機嫌よく哺乳瓶を握っていた彼女も、だんだんとベビーカーの中でむずかり始めた。

 「ワアッ」

 「ワアッ」

 大きな声で、泣き始めるのである。それは住宅街の桜並木の葉を揺さぶる程の大音響だった。しかし母親の私は、動じることがなかった。いずれ泣くことに疲れて、寝てしまうのである。その時まで待てばよいのだった。花屋さんの前で、いよいよ万里子の泣き方は激しくなった。ガラスの哺乳瓶を地面に落として割ってしまってまもなかった。

 「奥さん、この赤ちゃんはあなたのお子さんですか?」

 通りがかりのベビーカーの母親に向かって、花屋さんのご主人はそのように話しかけたのである。泣いている赤ん坊とは赤の他人の女性と思われたらしい。

 「子供が泣くのにもね、それなりの理由があるのですよ」

 泣いても平然としている母親の背中に向けられた一言が、三年前に再びこの近くへ引っ越しをしてきてお店にいくようになってありがたく甦ってくるようになった。小さき者への思いやりに溢れた言葉であった。赤ん坊にとって哺乳瓶を割ったことよりも長い時間ベビーカーの中でじっとしていることの方が苦痛だったのだ。

 今頃になってようやくそのことに気付いたのである。何と自己中心の母親だったのだろう。万里子が以前よりお花が好きになったのは、十八年前の花屋さんの一言を話したせいもあるような気がした。今度お店へいった時は、何としてもその一言のお礼をいわなくてはいけないと思った。〔平成19年『大法輪』5月号掲載〕 

 

太田治子(おおた・はるこ)神奈川県生まれ。父は作家・太宰治。母は太田静子。   

NHK「日曜美術館」初代司会アシスタント。高校2年の時、生い立ちの記『十七歳のノート』を発表。67年紀行文『津軽』で婦人公論読者賞受賞。『心映えの記』で第一回坪田譲治文学賞受賞。『母の万年筆』、『万里子とわたしの美術館』、『恋する手』、近著に『石の花 林芙美子の真実』『時こそ今は』(ともに筑摩書房)、『明るい方へ父・太宰治と母・太田静子』『夢さめみれば日本近代洋画の父・浅井忠』(ともに朝日新聞出版)など著書多数。 

 

 

 

 

 

 

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