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エッセイ 私の「縁は異なもの」 6


渡邊  格先生
 

 

   分子生物学者の渡邊(わたなべ)格(いたる)先生が三月の末、おなくなりになられた。満九十歳を少し過ぎられたところであった。日本の分子生物学者の草分けとして、終生「生命」について考え続けてきた方である。四月十二日の夕方、渡邊先生の「お別れの会」の会場の横浜市中区のホテルへ向かった。晩年の先生がお医者さまの長男のご一家と暮らされていた山手は、すぐ近い。実は先生が突然空の上にいかれることになった前日も、このあたりに仕事ででかけていた。「先生のお宅は、ここから近いのだわ」そう心の中でつぶやきながら、しみじみとその温顔を思い出していた。思えばその日桜はまだしっかりとつぼみのままであったが、春のうららかな空の下に先生の声が柔らかく響いてくる心地がしたのである。「日本人は、どうして最近こんなにも猛々しいことを口にするようになってきたのでしょう。古来から日本人は、もののあはれ、はかなさを考えてきた筈なのです」

 昨年の夏、八王子のNHK文化センターでお話しになられた言葉だった。それをお帰りの横浜線の車中でも繰り返し話されたのである。十年ぶりの再会だった。NHK文化センターの小山芳郎さんが、渡邊先生の講演があることを教えて下さったのである。私はここで毎月一回、『明治・大正・昭和のベストセラーを読む』という講座を持たせていただいている。久しぶりにおめにかかった渡邊先生は、明らかに少しお弱りになっている気がしてさびしかった。姿勢がよくてずっと青年のように若々しくていらっゃったのである。は中南米の学会から帰国するところだった。

 最初におめにかかったのは今から二十年以上前のことになる。ダイナースクラブの機関紙『シグネチャー』の対談の頁だった。渡邊先生はDNAの二重らせん構造の模型を傍らに生命科学の講義をして下さったが、残念なことに私の頭ではすっきりと理解することが不可能であつた。それだけに渡邊先生が丁寧に教えて下さったことは、いつまでも忘れられなかった。私はその時の記念の赤と白の縞模様の美しいDNAの模型を、部屋に長く飾っていた。それから何年かたってNHKの「生命」について考える番組の聞き手として、先生が私を指名して下さった時には何ともはれがましく嬉しかった。DNAを追求することは、お金もうけを追求する企業と密着しやすいという新聞記事を眼にしてまもない頃だった。

 渡邊先生はそのような社会のあり方に疑問を持たれていた。弱肉強食をよしとする「恥多き生存」か、弱者を切り捨てることのない「尊厳ある滅亡」かという問いかけを一九七六年に刊行の著書『人間の終焉-分子生物学者のことあげ』の中でもされていたのである。

 渡邉先生とは更にその数年後偶然にもメキシコの空港でおめにかかった。向こうから上品な年輩の紳士が微笑んでいらっしゃると思ったら、先生であった。渡邉先生は中南米の学会から帰国するところだった。たまたま初めてのメキシコの旅を終えて異国の原色の世界に染まったままだった私の頭に、あの時の先生のすがすがしい笑顔は一幅の山水画のように沁み通ってきた。

 「お別れの会」で、岩波書店の『科学』三月号をいただいた。その中に「生命科学の歴史的現在-渡邊格氏の謦咳に接して」という頁があった。二〇〇六年七月に「メタ・バイオエシックス研究会」でインタビューされた時の先生の言葉が胸に沁みた。先生はかつて生物について、「物質機械」と形容したことがあったのを自己批判されていた。それは、化学や物理学の方法で生命の謎に迫る可能性があるのだから研究を進めようという考えからでた言葉だった。しかしそれが、死にゆく人に何か起こっているかをわかろうとさせずに臓器を「部品」、人の死は即ち「脳死」とたわやすくされることになっていってしまった。そのことを、先生は胸を痛めていた。自己批判をするということは、大変な勇気を伴う。戦時中に軍部寄りの発言をした作家も、沈黙したままだった。

 「人間に大切なのは、もののあはれです」晩年の先生の言葉の重みを改めて思った。    〔平成19年『大法輪』6月号掲載〕 

太田治子(おおた・はるこ)神奈川県生まれ。父は作家・太宰治。母は太田静子。   

NHK「日曜美術館」初代司会アシスタント。高校2年の時、生い立ちの記『十七歳のノート』を発表。67年紀行文『津軽』で婦人公論読者賞受賞。『心映えの記』で第一回坪田譲治文学賞受賞。『母の万年筆』、『万里子とわたしの美術館』、『恋する手』、近著に『石の花 林芙美子の真実』『時こそ今は』(ともに筑摩書房)、『明るい方へ父・太宰治と母・太田静子』『夢さめみれば日本近代洋画の父・浅井忠』(ともに朝日新聞出版)など著書多数。 

 

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