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エッセイ 私の「縁は異なもの」 7

  
お医者さま 

 十八歳になる娘の万里子が、はしかにかかった。今年のゴールデン・ウィークの始まるほんの数日前のことであった。最初のうちは、風邪だとばかり思っていたのである。熱がでて、セキも時々するようになった。春の初めのノロウィルスによる風邪の時は、吐き気だけだった。

 「コン、コン」

というセキの音に、私は急に昔を思い出して不安にかられた。今はたくましい男の子のようにみえる彼女も、幼い日にはゼンソクで苦しんでいた時期があった。赤ん坊の頃のアトピーが、ゼンソクヘと移行したのだった。アトピーの赤ちゃんの3分の1がゼンソクになるということは聞いていたものの、よもやそれが現実になるとは思っていなかった。アトピーは一応完治していたのである。

 今から十五年前、二歳半の彼女が初めてひどいゼンソクの発作を起こした時も、「コン、コン」から始まったのだった。私はいつもの風邪だと考えていた。ところがその「コン、コン」はやがて夜がふけてくると共に、「スウ、スウ」という荒い息づかいに変わっていった。これは普段と違うなと思いながら、呑気な母親はなおも気が付かなかった。幼い子は肺が小さいので、呼吸も荒くなるのだと勝手に思い込んでいたのだった。

 ところが夜明けに気が付くと、小さな彼女はベッドの下に落ちていた。息があえかになっているように思われた。それでも救急車を呼ぶことには、頭がまわらなかった。私は朝になるのを待った。横浜の団地に引っ越しをしてきて、まだ数ヶ月しかたっていない時だった。団地と通りを隔てた真向かいに、医院があった。

万里子を抱いて診察室に入る時、ようやく私は彼女が大変な重態であることに気が付いた。もはや彼女は、息をしていない感じがした。呼吸不全の一歩手前だった。

 「これは大変だ。救急車で、大きな病院へいきましょう」

 お医者さまの言葉に、呆然とした。それが、小谷先生との出会いだった。小谷先生は、私たち母娘に付き添って、救急車に乗り込んで下さったのである。

 「大丈夫、持ち直してきましたよ」

 体格のよい小谷先生の眼鏡の奥の眼が優しかった。小谷医院での酸素吸入が、功を奏したのである。救急車の中で、私は涙が止まらなかった。

 三年前に東京の高校に入学したばかりの万里子と世田谷に住むようになってから、何か心細くなったかといえば、小谷医院と遠く離れてしまったことであった。風邪にかかったと思ったらすぐ小谷医院へいくことができたのである。五年前の春、私か過敏性大腸症候群にかかった時も、小谷先生にお世話になった。それはストレスからくるもので、二ヶ月たってもまだ治らなかった。

 「そんなにグズグズしていたら、病院にいっていただきますよ」

 小谷先生のその一言で、私の気持ちはしゃんとした。

病院ゆきは、困ると思ったのである。お腹の具合はよくなってきた。そのように小谷先生は、心の面のケアもして下さっていた。神さまのような方だった。

 「コン、コン」が治らないままに、万里子の熱は四十度に上がってしまった。フラフラの彼女をつれて、成城学園前駅の木下病院へ向かった。二十五年前に晩年の母がお世話になった木下病院は、明るく綺麗な病院になっていた。若い色白の青年医師は、万里子を診察してすぐにはしかだといわれた。

 次の日から診断通り、赤いブツブツが身体中を覆った。赤ん坊時代にアトピーがひどくて、はしかの予防注射を受けられなかったからであった。それは、四、五日そのままだった。「コン、コン」というせきのかわりに、「ウン、ウン」と万里子は小さく唸るようになった。

 「ウン、ウン」

 それは、どこかお念仏のようにも聞こえるのだった。

「早く治りますように」と祈りながら、私はむしろはしかであったことにほっとしていた。ゼンソクが再発したとしたら、大変であった。

 小谷先生には、引っ越しの挨拶をしていないままだったことを思い出した。四月に朝日新聞社からでたばかりの私の本、『小さな神さま』をお送りしたいと思った。〔平成19年『大法輪』7月号掲載〕 

太田治子(おおた・はるこ)神奈川県生まれ。父は作家・太宰治。母は太田静子。   

NHK「日曜美術館」初代司会アシスタント。高校2年の時、生い立ちの記『十七歳のノート』を発表。67年紀行文『津軽』で婦人公論読者賞受賞。『心映えの記』で第一回坪田譲治文学賞受賞。『母の万年筆』、『万里子とわたしの美術館』、『恋する手』、近著に『石の花 林芙美子の真実』『時こそ今は』(ともに筑摩書房)、『明るい方へ父・太宰治と母・太田静子』『夢さめみれば日本近代洋画の父・浅井忠』(ともに朝日新聞出版)など著書多数。 

 

 

 

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