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エッセイ 私の「縁は異なもの」 8


ジャンヌの髪 

 『モディリアーニと妻ジャンヌの物語展』に、娘の万里子とでかけた。渋谷のTデパートのお隣りの会場に入ったのは、最終日の六月三日の夕刻のことだった。

 久しぶりに間近にみるモディリアーニの肖像画がなつかしかった。今から三十年以上も昔、大学生の私は母と二人で『モディリアーニ展』へでかけたのである。それまで私はこの画家を、画集でしか知らなかった。やはり渋谷にあるSデパートが、展覧会場だった。会場に入るなり、大きな裸婦の油絵にすいこまれそうになった。薄桃色の肌はつややかに輝き、青い瞳は澄んだ空のようにきらめいて感じられた。そのゆったりと横たわる姿は、どこか観音さまを思わせるものがあった。思わず手を合わせたくなるような神々しさと共に、私もその傍らに並んで横たわりたいという不思議な親しみを感じてしまった。一枚の絵から、次々とそのような思いにかられたことはそれまでに一度もなかった。会場には、おびただしい数のデッサンが展示されていた。人物のデッサンばかりだった。薄く煙るような線である。裸婦や若い男が、その中から微笑みつつ浮かび上がってくるのを感じた。

「モディリアーニの絵から、あなたのお父さまを感じたの」会場をでてまもなく、母がぽつりとつぶやいた。この世では一度も出会ったことのない父は小説家であり、母は彼の愛人だった。絵から感じた慕わしさは、父と似ていたからだとわかってますます嬉しくなった。それまでは、モディリアーニの絵が苦手だった。どの顔も長く、首も長過ぎるように思われた。どちらかというと、暗い印象を受けていた。確かに展覧会場にも、疲れた表情にみえる女性の肖像画があった。しかし一見そうみえる顔も、よくみるといきいきと明るく息づいて感じられてくるのだった。どの顔にも、それぞれの個性が輝いていた。ひとつも同じ顔がなかった。妻のジャンヌの顔も、そうなのだった。一枚、一枚の絵の中に、違うジャンヌがいた。お腹が丸くふくらんだジャンヌには、もうすぐお母さんになる落ち着きが感じられた。正面を真っ直ぐにみつめるジャンヌの顔からは、生真面目な少女の香りが漂っていた。モディリアーニに出会った時、彼女はまだ十九歳の画学生だった。十四歳年上のモディリアーニとの生活は、三年しか続かなかった。彼が胸の病いで息を引き取った二日後に、彼女もアパートの六階から身を投げたのである。お腹の中の二番目の赤ちゃんも一緒に。

今回の展覧会には、今までにみたことのなかったジャンヌの絵も展示されていた。私にはそのどの絵も、初々しくひたむきなジャンヌの個性がにじみでていると思った。しかしモディリアーニのあのデッサンに象徴されるような水の流れにも似た自然なほとばしりを感じることはむつかしかった。やはりモディリアーニは人間が好きだったということと共に天才だったと思うのである。そのことを誰よりもわかっていたのは、同じ画家のジャンヌだったような気がした。彼とみつめ合うことだけが、ジャンヌの生きる支えになっていたのだと思う。展覧会場には、ジャンヌの遺髪も展示されていた。たっぷりとゆたかな栗色の髪は、身を投げてから八十七年もたった今もモディリアーニの描いたジャンヌの絵と同じように微笑んでみえた。私はジャンヌのモディリアーニを思う心の熱さをその髪から感じて、胸がつまった。私にはこんなにも一人の人を愛したことがなかったという後悔がわいてきた。

 会場をでてすぐにそのことを万里子に話すと、彼女はモディリアーニの絵をママが好きな訳がよくわかったといった後で、思いがけないクールな発言をしたのである。「ジャンヌは、勝手だと思う。彼女には、お腹の赤ちゃんの他に既に小さな女の子もいたし、お父さんもお母さんもいた。のこされた人の悲しみを思わなかったのかな」確かにその通りなのに違いない。しかし展覧会にいって十日以上たった今も、私はジャンヌの栗色の髪を思うと泣きたくなる。それと共に、父の後を追って死ぬことなく女手ひとつで私を育ててくれた母に「ありがとう」思わずそのようにつぶやいてしまうのである。

〔平成19年『大法輪』8月号掲載〕

太田治子(おおた・はるこ)神奈川県生まれ。父は作家・太宰治。母は太田静子。   

NHK「日曜美術館」初代司会アシスタント。高校2年の時、生い立ちの記『十七歳のノート』を発表。67年紀行文『津軽』で婦人公論読者賞受賞。『心映えの記』で第一回坪田譲治文学賞受賞。『母の万年筆』、『万里子とわたしの美術館』、『恋する手』、近著に『石の花 林芙美子の真実』『時こそ今は』(ともに筑摩書房)、『明るい方へ父・太宰治と母・太田静子』『夢さめみれば日本近代洋画の父・浅井忠』(ともに朝日新聞出版)など著書多数。 

 

 

 

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